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秩父盆地の南端にずっしりとした山体をすえているのが、秩父嶽とも呼ばれている武甲山である.
山姿は、石灰岩でできているためだろうか、武甲という名の響きのよくにあう、ごつごつした荒削りな土くれは、
ところどころに岩を露出させ、素人が彫刻刀で削ったかのような中途半端なくぼみが派手に刻み付けられている.右手の飯盛山に続く稜線は一段低くなだらかに、それは最前列に他の山とは孤立したように存在しているのだから、盆地に住み日々その姿を見つづけてきた人々にとって、心の奥深くまで刻まみこま
れた風景であったはずだ.御岳神社のある山頂は海抜1336メートル、海抜で250メートル前後しかない盆地の底から見上げるその高さは広がる桑畑となったなだらかな丘との対比をもってますます増し、そ
の山頂の尖った威厳ある特異な形状も加われば、古の人々の信仰の対象になったのも当然のことのように思える.大日本帝国陸地測量部が大正五年に発行した、五万分の一地形図「秩父大宮」をみ
ながら、私の想像したかつての武甲山の姿である.
ちょうどこの地図が発行された大正初めころ、特産となる石灰岩の採石が始まった.一面を埋める瓦葺が江戸の町であったなら、その町が見事なまでにコンクリートで埋め尽くされていったのは100年あまりの
間のことだ.自らを削って傷き果てたこの武甲山の石灰岩は、どこかで都市の発展の一端を担ったのであろう.日本の持つ産業資源の中で自給できるのは石灰岩、無尽蔵とまでいわれているその起源は熱帯の
海だ.沈殿した生物の遺骸は石となり、3億年ともいわれている年月をかけてこの地に運びこまれ武甲山となった.
それが作られた気の遠くなるような地質年代を数えられても、消費するのは人類の暦、石灰岩が削りつくされ、この山が捨てられてしまう日は、そんなに遠い未来のことではないだろう.そのとき、かつて、
住む人々に与えたいくらかの恩恵の代償として、その痛々しい姿を永遠にさらし続けていくことになるのであろうか. |
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山頂を失った山. |
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出発点の横瀬駅.武甲山を見ながら東に向かい踏み切りを渡ると二子山が前方に見えていた.
石灰岩の加工を行う工場を過ぎ、しばらく車道を歩くと、参道の入口に出た.ここが一丁目で、鳥居も立てられ
左右には狛犬も鎮座していた.
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一三丁目までは沢に沿って登る.沢を跨ぐ鉄橋が見え、ここが持山入口で碑が置かれている.
一三丁目で沢を離れ、右手の林中を登る.歩道が枝沢を2度めに越える所には小滝があって不動尊が祭られている.
ここが十五丁目で、最後の水場でもある. |
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林中を登り始めると、25丁目.山頂にあった大嶽神社は五十二丁目で、参道の約半分を登ったことになる.
昭和9年に立てられた大嶽神社参道を示す碑が脇に現れる.尾根の背に乗ると大杉広場があり、続けて3本の大杉が続く.
写真は三十五丁目に立つ3本目の大杉. |
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四十丁目の標石を最後に、新しくつけられた道になる.木段の設置された苦しい坂を登り終えると小持山
方面の分岐となっている十字路に着く.山頂の一画で、神社は右すぐ上だ. |
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立派な社殿と狛犬を従えた御岳神社.その後ろには金柵で覆われた、かつての山頂の跡である
採石場. |
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十字路にもどり橋立方面の下る.発破時の避難小屋をいくつか見送ると長者の頭に出た.長者尾根の南側、橋立川の谷あたりは
伐採がされていて丸裸の状態.尾根を降り橋立川に出たところがこちらからの登山道入口になっている.
川沿いの林道を下り、名所橋立鍾乳洞をやり過ごすと、秩父鉄道浦山口に出る. |
武甲山に登る
削りとられた惨めな山肌を盆地にさらしているのは、北面である.表参道は、この山の東南からつけられている.西武鉄道横瀬駅が
始点になる.駅前からセメント工場の煙突が見える、東に向かって歩いていく.前方に二子山がみえていたことに気づく.道路は生川に向けて
南に曲がっていくと、休日であってもカタカタと音をたてて石灰工場は操業している.ちりまみれの建物に向けてトラックはバックしながら出入りする.
ここでは工場と道路の境界はなくなっているようだ.まるで工場の中を歩かせてもらっているかのように小さくなって通り過ぎていく感じだ.
やっと工場群を終え騒音も遠ざかり、未舗装の道路になってやっと山歩きになったかと思っていたら、不思議なこと車道は再度立派なものに変る.
そして鳥居のある一丁目に着いた.狛犬の間を通り、参道に入るがまだ神聖な山中という感じではない.人家、釣堀、養殖池と続く.対岸の先ほど分か
れた林道に出る.
登山届を書き、急なコンクリートの道路を登っていく.安政と読める石の碑のおかれた持山入口を過ぎると、十三丁目、十五丁目で林道を離れ、
歩道は北側の山林を登っていくようになる.一回渡った枝沢を再び渡りなおすと、そこは不動尊が祭られ、十八丁目、右に折れたところに、御嶽神社参道を
示す石柱がたっていた.ほぼ半分きたことになる二十五丁目で腰を降ろすころにした.
山腹を登り終え、尾根上を進む感じになると、大杉の広場に出た.
名前通り杉の木が立っている.さらに続けて2本大きな杉が現れる.このあたりで目立つようになった歩道脇に転がる石は石灰岩で白い.四十二丁目で分岐
していて、旧道である右は通行止め.左は新たに作られた歩道であろう.丁目の表示もなく、かぼそい歩道はみるからに歴史がなさそうである.
谷側は低木で視界があるはずだが、今日は雲っているから白一色である.しんどい木段を登り終え、武甲山の肩、十字路に出た.左の急な下りはシラジクボま
で落ちていく、右は、5分と書かれているのだが、登ればすぐ神社の前に出る.新しい立派な社殿の左脇を登っていくと、採石場の上に設けられた第一展望台がある.ここまで前方に障害となる物がないと
なれば前にあるはずの盆地の展望はさぞかし良いのだろうが、今日はまったく視界がないので残念だ.
足元下の方からは重機のキャタピラー音と石の崩れ落ちる音が響いてくる.実際ここに来るまで、採石場がこんなに山頂まで迫っているとは、思っていなか
ったけれど、考えてみれば、今より10メートルも高かった本来の山頂は、この垂直の壁より秩父盆地側にあったはずなのだ. |
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西武秩父駅よりみた武甲山. |
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橋立川の大滝.長者尾根から山腹のつづら折を下ると橋立川に出る.沢沿いにはシラジクボに向かう登山道
(現在伐採作業で通行止めになっていた)もつけられていて、この登山道脇にこの大滝が落ちている. |
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