氷川大橋 [logo]Bridges of Okutama
氷川大橋
 橋など知らず間に超えているものだ. 奥多摩湖にしても日原にしても、かならずこの橋を超えていくはずであるのだが、上路式の橋は欄干以外その存在を主張することはないから、 この橋がコンクリートアーチ橋であることに気づくこともない.
 それでも、この橋の場合いくらかその存在に気づいている人は多いのではないだろうか.駅を出発したバスが右折し、国道411に出ると すぐわたるのがこの橋であって、下に見える深い谷の底を流れている日原川の姿とともに記憶に残っているかもしれない.
 昭和6年から青梅街道は檜村集落まで幅員5.5mの拡張がなされた.この氷川大橋も昭和8年に竣工している.バスもこの翌年から運行され るようになり、この橋ができたのは、ちょうど山村が着々と近代化を迎えいれていった時代だったのだろう.
 しかし、その一方では、上流の小河内村では小河内ダム建設に伴う立ち退き問題で未曾有の騒動が発生していた時期でもあった.一団と なって交渉に向かうも氷川神社で警察に制止されるという事件が発生したのは昭和10年の出来事である.このとき一団となった村民が渡った のは現在も使われているこの橋だったことになる.
 この騒動を題材とした小説、石川達三の「日陰の村」では、娘を奉公に出して得た750円を懐に利八はバスに乗って氷川に戻る.そして、真っ暗 な山峡の街道を歩き崖から落ち命を落とすことによって、この小説は幕となる.舞台となった昭和初期の山村の姿は、あまりにも昔のことのように私には 感じられたものであるが、それはこの橋の歴史とともに70年の月日がつなぐ一昔前のことなのである.
 青梅街道、行楽シーズンには混雑もするから、後に平行して架けられたアーチによって路幅の拡幅もなされた.橋の袂に氷川神社があり、その脇から遊歩道 がついていて、降りると橋を支えているアーチを見ることができる.まず、新旧2つのアーチが並んでいるのがわかる.
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