Hornlihutteまで往復する. |
Matterhornに登るのは、その外観で想像されるよりは、
はるかに容易であることは知られている.アルプス金の時代の終わりを告げた1865年のWhymperらによる初登
以来、その頂に立った人の数は、アルプス4000m峰の中で最多であるようだ.
しかし、アルプスの山だけに、一般的といっても、それにはいくつか条件がつくのは当然で、技術、体力は必要だろうし、通常は
ガイドを雇う.Whymperらを勝利に導くことになった、Hornli稜をそのルートに選ぶのも絶対的ともいえる条件である
ことはいうまでもない.他のルートはエキスパートの腕試しの場所として存在する.
Hornli稜はMatterhornのシンボル東壁の北東側の稜線で、この一般向けルートの起点となっているのが、
Hornlihutteである。
そして、ここは私のような登山に何の準備もなく出かけてきた散策者にとっては終点ともなっている。
標高3230m、2520メートルのSchwarzseeまではロープウェイで行けるのだから、残りはたった700メート
ルほどの登りである.高度に見合った息切れは味わうことになるだろうが、2時間ほどで登れる。
せっかく麓まで来たのだから登らずに帰るのは惜しく思われる.
Furiで待った雨はどうにかあがり、Schwarzsee
についてみれば、天候は怪しい限りだが、歩道の積雪は今朝降り積もっただけのようだった.歩道に真新しい足跡
も見受けられるので、小屋に向けて出発した.
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Schwarzseeでロープウェイを降りれば、雨ではなく雪が降っていた.私ひとりだから出発するか一瞬ためらったが、hutteに向かって
今日積もったばかりの薄い雪の上に足跡が続いている.ルートさえはっきりしているのであれば気は楽だ、足跡を追いかけることにした.
左上の小屋は、冬季には利用できるスキーリフトのもの. |
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Hirliで岩場に出る.ZermattからMatterhornを見上げたとき、
手前に横たわる茶色い岩の尾根だ.岩の南側に金属製の頑丈な桟道がつけられていて、ここを登るよう
になっている. |
岩を登りきってしまうと、岩の北側斜面にルートが続いている.この斜面の右端
Furgg氷河側は垂直に切れたっていて恐ろしい.緩い傾斜の歩道をしばらく進むと、スイッチバックの繰り返しで
hutteの建つ稜線を登るようになる.稜線の軸に垂直につけられたスイッチバックの切り返しでは、切り立った岩の上に
立つことになって結構緊張させられる.ルートが再び尾根の南側に出ると、残りはわずか、標高3260mのHornlihutteに
出た.
晴れていれば、展望を楽しみながらの登りであろうが、私は悪天ゆえに、この間では写真も撮らず終いであった.
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Hotel Belvedere、こんな高所にもホテルが建っている. |
すぐとなりの山小屋がHornli hut. |
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ホテルの1階はレストランになっているのだが、閉鎖され食事の提供はされていなかった.
中に入ると窓はすべて閉められていて、ドアのガラス越しに入る光だけがまぶしい.
室内には、積み上げられたテーブルに占領されていた. |
シーズン中には、客を迎えていたであろうこれらのテーブルの並んでいたドアの外は、今日は雪がつもり、時々響く風音
に、建物内にいる安堵感を確認する.山の季節が変わるのはすばやいし、天候次第でまったく異なった場所になる.
一息ついて、朝Zermattで買いもとめたパンを、手探りで取り出し、遅い昼食をとることにした.
ささやかな昼食を食べ終えれば、天気の変わらないうちに引き上げるべく、早々外に出た.
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帰路、雪は本降りになってしまった。稜線の九十九折の急坂を
下りきると白一色の斜面が現れた.北の谷側から吹き上げる風であたり一面氷ついていて、滑りやすい.
往路の足跡も雪でまったく消えてしまったから、実際にはたいした距離ではないのだが、ちょっとした冒険を
感じる、精神的にはかなり疲れた下山であった. |
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Stafelalpの分岐の出現は、ルートを間違いなく辿っていることを確約してくれるもので、
標識は、それまで継続していた緊張から開放させてくれた. |
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Schwarzseeのホテルと駅舎が見えるようになり一休みすることにした.
このあたりは雪は降らなかったようで、朝通った時と同じ地の色をみせていた.
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振り返ってみたが、マッターホルンは白一面の中にかすかに面影をみせているのみだ. |