この山を特徴づけているのは、歩道の起点からずっと続く天然林であろう.新緑の季節は美しい. |
東京都と埼玉県の境界を走る長沢背稜南面の水を集めるのが日原川である。
この川が多摩川へ流入している氷川橋の袂から川に沿って、10キロメールほど遡った場所に奥多摩町日原の集落がある。
この日原に向かう休日のバスは、登山客で通勤ラッシュなみにこみ合うことさえあるのだが、もっぱら目的地は入口にある 川乗山のようだ。 終点東日原は、ヨコスズ尾根を伝わって長沢背稜に向かうこともでき、稲庭尾根からの鷹ノ巣山、 富田新道から雲取山などの拠点となる場所であるのだが、いずれにしても、こちらから登られることはほと んどなく、下山で利用されているだけのようだ。 長沢背稜の支稜にある天祖山という、ひときわ高いピークに感心をもったのは、ヨコスズ尾根や、川乗山から見えている砕石場の 姿からであったと思う。哀れにも、この山の北東面は削られて階段状になっている。そのために、よく目立つのである。 この山は県境の稜線と、日原川を多摩川本流と分水している石尾根に囲まれた地域に浮かぶ 孤島のような存在である。このピークは石尾根の鷹ノ巣山と並ぶ高さを持っていながら、他の山と離れていて訪問しにくいし、 アプローチが悪いから、ちょっと日帰りでいくのには遠すぎるように思われているのが幸いして登山者はきわめて少ない。 |
バスを降り歩き始めると、突き立つ稲村岩が対岸に見える. | |||
見慣れた小川橋の青色の塗装も、新緑に囲まれて今日はより鮮明に見える. | |||
八丁橋に差しかかる少し手前で、右奥にこれから登っていくピークが見えている. | |||
日原林道が八丁橋を渡ると、すぐに登山道入口が現れる. | |||
歩道に入るといきなりスイッチバックを連続し、登山道は高度を稼いでいく. | |||
休日の早朝バスは、川乗山の登山客のためにあるようだ。予想していたとおり川乗橋で一斉に降りていった。
終点東日原のバス停から歩き始めた人の数は10人に満たなかった。
次の中日原の、鷹ノ巣登山口を越えると早朝の道を歩いているのは私一人になったようだ。昼間であれば、この先にある鍾乳洞を
訪問する行楽客で少しはにぎやかである。深い日原川の谷の対岸には、するどい円錐形の岩塔、稲村岩がそそり立っている。
この岩は石灰岩でできている。数々の鍾乳洞、露岩、日原の観光は石灰岩とともにある。一方この地区の産業の中心でもある。
車道は青い塗装の小川谷橋を渡り、ここで支谷小川谷を分ける。本流の方の林道日原線に入ると、すぐにある渓流釣り場のところで、
道路は未舗装となった。 せせらぎの音はひときわ大きくなり、流水がすべりおりて深い早瀬を川底に眺めながら、新緑林道を歩いていくのは朝の空気そのものも ような気持ちよさだ。進路が右岸に変わり、対岸に採掘穴が見えている。孫惣谷に近い。沢側に身をのり出して北西の谷奥を探すと、 右手に、するどくせりあがったピークが見つかった。これがこれから登る天祖山のようだ。 沢の対岸の山肌には、くねくねとその道筋をみせながら登っていくのが孫惣谷林道で、その入口となる橋をやり過ぎると、林道は 八丁橋で日原川の流れを越え道筋は再び左岸に変わる。天祖山登山道入口に着く。
歩き初めから急なスイッチバックが繰り返される。細い歩道に立ち止まり、高い背丈の木々の枝々を見上げると萌える新緑が空 を覆って、清々しい朝を楽しむ余裕を、私に与えてくれるほど気分も軽くする。息の切れるような急坂も、今日はみるみるうちに高度を稼 いでいくように思えてうれしい。 大きな露岩を越え、さらにスイッチバックは繰り返される。20分ほどで、150メートルほど高度を稼ぎ、孫惣谷側に出た。ここで一休みすることにして、簡単に朝食を食べた。 ここから、しばらくはゆるい登りを行くと、道は分岐していた。標識がるにもかかわらず、そのまままっすぐ進み、谷側をいつまでも平坦に辿っていくことに気づきもどる。 雲取、天祖山はさきほどの分岐で左折しなければならなかったのだ。分岐点のすぐ先に水場があるが、塩ビパイプからちょろちょろ水が出ているだけで、一杯水の名のとおりである。 コップ一杯でもたまるのに待っていなければなければならないような水量だ。 その先には、石垣の積まれた場所が左手に現れる。これは水源巡視道のもので、林道ができる前に使われていたのだろうか。あるいは、巡視のために今でも使われているのかもしれない。 都民の水源である、奥多摩には、このような歩道によく出会う。注意しなければならないのは、登山道より立派で誤りやすいことである。 ここも、山頂に向かう尾根の上に攀じ上がる道筋がはっきりしていない。 利用者が少ない登山道はそんなものであるのだが、ここから後もたびたび不明瞭な場所に出くわす。道を探すのは、ハイキングコースのように歩ける奥多摩にしては珍しい体験である。 それでも、赤テープがつけられているので見落とさなければ迷うようなことはない。 東南に向いた斜面を登りおえると、アンテナの柱がたっている。天祖山雨量局のものであって水源の雨量を監視している もののようだ。小河内貯水池の管理になっていた。日原川と合流した後の多摩川の適正水量を求めるためにデータを収集して いるのであろう。 ここから、100メートルほど奥にある神社まで一直線に平坦な道が続いた。 余裕が出てきて木々を見ていくと、樹皮に新しい傷があってはっとさせられた。私の背より高いところまである。それに樹種は杉にあるから、鹿の食べたものではない。 するどい爪のようであるから熊のものだろう。 登山道は社の裏側に続くが、落葉したままの木々に混ざり杉や檜の濃緑が散らばった 林の中に急な坂道が続く。道も小刻みにスイッチバックしているが、時々落ち葉の中に消えてしまう。突如、不思議にも 材木で整備された歩道が現れて驚くが、数十メートルで終わり、また左に巻いていく急な登りにもどった。ここを越える と平坦な場所に出た。樹幹がくねくねまがったミズナラの木の元で休憩した。 平らな尾根は小さな窪みで終わり、再び急な登りを進まなければならない。 周囲の木々は見ごたえのある大木が多い。ダケカンバが現れはじめ、ベージュ色の背の高い樹幹が、薄暗い色の木々に混ざっている。 西の谷側は植林したのか一面常緑のままだ。東側も植林したものであろうが、こちらは芽をふいたばかりの直立したから松が並んで いた。 | |||
九十九折りの登りを終えるとほんのしばらくの間緩やかな歩道になる.このあたりはハタゴヤと呼ばれているようだ. | |||
一杯水を後に道の不明瞭な斜面を登っていくと満開のつつじがあった. | |||
神社裏から続いた急登を終えて休む.ミズナラ、ブナを中心にした木々が取り囲んでいるのであるが、 このあたりでは、まだ新緑の気配はない. | |||
東側斜面に立ち並ぶ、から松には芽が出はじめていた. | |||
少し緩やかな場所に出て、再び急登すると祠が置かれている。その前の石灰岩の石の転がったところを登っていくと、歩道の右脇
に大木が立っていた。樹皮の感じからブナだと思うが、直径は70cmくらいある大木で、この大きさのものを見たのは初めてだ。
続いて、石灰岩の露出した狭い尾根を登る。砕けた場所や磨れた所は石灰岩の青白い色をしている。 東の方には、砕石場の荒々し
い削り跡が見えている。 天祖山を崩して得られた砕石は、奥多摩駅の北にある工場に送られて加工されているようだ。 この砕石によって天祖山の北面にあったという 岩は失われてしまったというから残念だ。 開始されたのが1976年ともう自然保護が叫ばれる時代に入っていただけに、もう少し考慮があってもよかったと思う。 町にとっては重要な産業であっただけに、鉱床を失い衰退することを恐れての判断であったのだろうか。 頂上は近くなってきた。坂が続く。直線の長い坂が現れる。笹の中に大きな木々が立つ。先ほど一回だけ鹿の鳴き声が聞こえたの であるが、かなりこのあたりには生息しているのか、歩道のいたるところに糞が散らばっていた。歩道脇には食痕が痛々しい木々が 立ちならび、一定の高さまで、まるごと樹皮が剥れてしまっている。 木々の間に見えている赤屋根の建物は、天祖神社の社務所で、砕石場に向かう立ち入り禁止の道が分岐がこのこ建物の手前にある。 ガイドブックにある旧裏参道というのがこれらしい。ここからひとのぼりすると、社の構える天祖山山頂に出た。 この山の何より不運なのは頂上に視界のないことかもしれない。反面、奥多摩の中にあって静かなまま取り残された理由でもあるのだが。 社の前には三角点があって、これを見て満足するしかないようだ。海抜1723.2メートル、雲取、七つ石、鷹の巣につぐ標高の三 角点である。 | |||
石灰岩の露出した細い尾根を登る. | |||
歩道脇に大きなブナの木が一本立っていた. | |||
この山は信仰の山でもある.山頂には社が立つ. |
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