那智の滝
 紀伊半島は幅100キロメートルもある大きな半島である.太平洋に面した温暖な気候を特徴とする.また山深い地でもあり林業も栄えた. この半島南端の串本から、海岸にそって東上すると、熊野川の筏流しによって運ばれてきた木材を扱って栄えた新宮市がある. 新宮の南西、那智山の山中に、この那智の滝はある.
 都から遠く奥深い地であった熊野は古くから信仰の地であった.本宮町の本宮大社、新宮の速水大社、那智大社を熊野三山といい、熊野詣に使われた道、熊野 古道がある.  国内には、富山県の称名の滝を筆頭に、高瀑は数多くあり、落差133メートルは必ずしも大きな部類ではないのであるが、垂直に力強く落下する 直瀑の筆頭の地位は文句なしにこの那智の滝にあたえられよう.力強い自然の力に信仰の生じるのは、きわめて自然なことであって、この滝自体が 御神体にもなっている.
 さて、私がこの滝を訪れたのは1989年のことである.この年の夏、それまで気にかかっていたような場所に遠出を繰り返したのであるが、 那智の滝もその中のひとつであった.紀伊半島一周の大遠征を企てたのは、夏休みも終わりに近づいていた時期だから、もともと少ない 旅費もいよいよ底を着き始めていた.したがって全行程青春18切符を使った極貧旅行に設定した.
 この旅を可能にしたのは、大阪の天王寺駅を23時に出発し、明朝新宮に着く夜行の存在である.紀勢線を周るこの電車は、青春18切符を使用した貧乏旅行 者の夜を越す場所としてよく利用されていた.私の目指す那智の滝は、終点の新宮より少しだけ手前にあるから、早朝に到着し、始発バスまでしばらく待たなければな らない点を除けば、この電車を使えばまことに都合よくいける.そのためには、前日大阪まで辿りつかなければならないが、この年私はこのような 旅を何回か繰り返していたから、もう勝手知る容易なことになっていた.
 時間つぶしをかねて、往路に養老の滝と、焼物の産地信楽を見ていくことにした.実家のある焼津駅を始発で出発する.まずはJRで大垣に向かい、近鉄に乗り換え て養老駅までいく.養老公園は駅前からバスで5分、まだ朝早かったのと、あいにくの雨降りで観光客もまばらな公園を歩き、滝の元までいった.予想していたとおり、 見ごたえのあるものではなかった.伝説ゆえにその名はあまりにも知れ渡っているけれど、滝としてみた場合、30メートルほどのどこでもある 平凡なものだ.
 雨だからだろうか、みやげ物屋も戸を閉めてある.早速引き上げ、桑名に向かうことにした.ここで昼食を食べ、ついでに本屋で、長い夜旅に備え新書を2冊買った. 1冊は何であったかもう忘れてしまったが、もう1冊は、岩波新書のやきもの文化史であった.この本のページを広げながら、四日市、亀山、柘植と乗り換え、JR草津線の貴生川駅 に着く.ここから信楽高原鉄道に乗って、大きな狸が待ち迎える終点信楽駅に向かった.狸の置物が信楽焼の特産品だ.大小さまざまな表情の狸をどこのやきもの店でも見かけた.  駅近くの商店で、お茶までいただいて品定め、出来のよい気に入った湯のみがあったので買ったのであるが、想像以上に安くて驚く.旅費は浮かしても、やきものには景気 よく出費している私であるが、今回は特に安くついた.これから持ち歩くことを考えて、小さな狸を買い求めてから、夕方6時しがらき高原鉄道に再び乗って貴生川に戻った. あとは夜11時までに天王寺に着けばよいのだから、今日は気が楽だ.日も沈みどうせ外の風景は見えないのだから、関西線の車内は先ほど買った本を読んですごすことにした. 紀勢本線は、和歌山から半島の外周に沿って約400キロメートル進み、亀山に出る.私はこれからちょうど一日かけて半島を一周することになるのだ. 天王寺に着くと駅前で夕食をとり、電車に乗り込んだ.
 和歌山まで阪和線を経由してから、紀伊半島沿岸をまわっていくこの夜行は、週末には海釣りに出かける釣客でこみ合うという.この日は夏休みであったから、 車内の客層は若かった.車掌が検札にくれば、出されるのはほとんどが青春18切符であった.JRにしてみれば空よりはいいにしても、割りにあわない運行だと思う.どのような 目的で残されているのか、いまだにこのような夜行が存在するのは不思議である.
 列車はともかく紀伊半島を走りぬけるのである.日が変わって検札があったこと以外車内のことはほとんど憶えていない. 目的地、那智駅に近づきつつあることを知ったのは、本州最南端でもある串本を過ぎて熊野灘を北上し始めたころであった.
 那智駅は海辺に面した小さな駅であった.始発バスまで時間を潰さなければならない.まだ活動を始めていない静まりかえった民家の裏を通り鉄道を越えて、浜辺に出た.寂れた海水浴 場といった感じの場所で、ここで砂利の上に横たわりバスを待つことにした.くろしおのあらう南紀といえども日の出ていない浜は寒かった.
 バスで滝に向かう.那智川をバスを降り飛龍神社に入る.拝観料100円で御神体でもある滝に対面する拝所に立つ.たたきつけられる水の響きは実に力強く、自然の威厳を見せつ けているようだ.しばらくたっていると、眠気も加わってきて、単調な音と一直線に落下する単純な水流の組み合わせは実に気持ちのよいものに感じた.しばらく見入っていたあと、那智大社と 並んで建っている青岸渡寺のほうに登っていくことにした.そこには再建された真新しい朱塗りの塔が建っていた.芝の美しい庭園は、白い一条となった滝が背景になっている.
 那智の滝といわれているのは、那智四十八滝の一の滝のことである.本当に四十八個の滝があるのではないだろうが、この山中には多くの滝が存在しているという.二の滝と 三の滝には道が通じているようだった.心残りではあったけれど、まだ紀伊半島周回の半分を過ぎた段階であるのだから、そろそろ出発しなければならない. バス停に急ぐことにした.
 紀勢線に乗ると、観光客で一杯であった.新宮駅に着くと一斉に降りていく.私もここで乗り換える.この町には、熊野三山のひとつ速玉大社があって町名の由来のようだ. 半島中央部の山々に降った雨水を一手に受ける新宮川の河口に位置するから、山々で育った木々の集積地としても栄えてきた. 現在は、熊野観光の玄関口の役割が大きいようだ.新宮川をさかのぼると、北山川には瀞峡があるし、川砂利を掘ると湯の出ることで有名な川湯温泉も支流の大塔川にある. 
 新宮駅を出ると、和歌山県は終わり三重県に入る.熊野あたりまで、海岸は滑らかであるが、そこから先は小刻みに入り江が入り組んだリアス式海岸が志摩半島の南岸まで続く. 入り江の根元には小さな漁村があって、駅はここに住む人々のためのものである.昨日から続いている旅の疲れもいよいよ噴出し、うとうと眠気が襲ってきたから、風景は途 切れ途切れになってくる.
 紀伊長島という志摩半島南の付け根にある漁村に着いた.接続する亀山行きの列車までは、1時間半もある.ちょうど昼食にいい時間になったが、駅前には食堂もなかったの だろうか.おにぎりを買って食べた憶えがある.夏の昼間中、外に出るとすぐに汗だくになりそうなくらい暑かった.道を歩いている人の姿はなく、漁を引き上げれば家で涼んでいるのであろ う.少しは涼しい待合室のベンチに横たわり仮眠することにした.せみの暑苦しい鳴き声と生暖かい潮風は夏の香りを私の記憶に鮮明に残した.
 ここからの残り2時間の紀勢線の旅はいささか平凡だった.亀山で乗り換え、名古屋に戻ると、後は家路を急ぐ感じになる.ホームできしめんを食べ、好物のういろうと赤福を土 産に買い込んで各駅停車に乗り込む.見慣れた車窓が続くが、40時間前に出発した焼津駅に戻ることになったのは、 まだ3時間後のことだった.
1989年8月29〜30日にこの旅は行われた.執筆は2001年2月.

途中で立ち寄った養老の滝の写真はこちらにあります.
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