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むかしみちの散策コースは奥多摩駅に始まる.青梅線が現在の奥多摩駅まで延伸したのは昭和19年、当時の名称は氷川駅であった.かつては石灰石の搬出
を主とする貨物駅であったが、石灰石の鉄道輸送が廃止されたことにより、現在は週末に訪れる行楽客が中心の駅だ. |
駅を出て左に下っていくと、青梅街道の氷川交差点に出る.奥多摩湖方面に右折するとすぐ氷川神社があり大杉がたっている.
この先が氷川大橋で青梅街道は日原川を渡る.この橋上からは見晴らしが良く、左手に小高い愛宕山のピークが見える.
橋を渡り氷川の中心地に入ると、むかしみち入口がある.青梅街道から右折したすぐ先には、表示があってこれにしたがって左手の道に入れば、コンクリートで舗装され
た急坂になる. |
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急なのぼりは羽黒坂といい、氷川を出て早速現れる難所である.急坂を終えると細い歩道が続く.ちょうど下の国道411が南氷川橋に達したあたりで、愛宕山が
見えていた.その先でレールをまたぐ.昭和27年、氷川駅から水根まで工事資材輸送のために敷かれた専用線の跡である.ここから水根まで、廃線後はむかしみちとほぼ並走
していて、ときどきその姿をみせる.
すでに工事用道路まで通っていたのに、それに追加して線路まで敷いたのは、今からみれば無駄な感じがするが、まだ大量輸送の中心が鉄道にあった時代のことである.
昭和19年、青梅線は氷川まで延長されていたから、この線路を通じて多くの資材が運びこまれてきた.そのまま線路を延長するのは効率的だったのだ.
急勾配を登れない鉄道ゆえだろう.線路は、羽黒坂を登るのではなく、氷川駅(現奥多摩駅)から、一端日原川沿いに北に進んだあと、長いアーチ橋で
日原川を渡ってトンネルで戻ってくるようになっている. 歩道は残されたレールと併進すると沢を巻くため北側に折れた.線路はそのまままっすぐ橋梁で小さな沢を越えて尾根を横切るトンネル入
ていく.沢を越えもどった歩道は緩い登りになり、このトンネルの上を越えて林道さいかち木線に出た.ここから先しばらくはこの車道を辿ることになる.民家の前に出ると、ここには休息所が設けれれてい
る.ここから、車道は下り勾配で檜原に向かう. |
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さいかち木から、むかし道は多摩川の北岸を檜原集落に向かっている.檜原は国道411号に沿ってある集落で、新旧青梅街道がここで一端合わさっている.
むかし道のコースは、国道411号を歩くことなく集落内を進むようになっていて少しややこしい.檜原バス停の北側を進んで集落に入る細い車道を右折、あぜ道を登ると檜原から境に向かう多摩川北岸
の町道に階段で降りるようになっている.
新道の檜原―境間は、檜原橋から橋詰トンネルを越えて境橋まで直進しているから1キロメートルに満たないが、むかし道は多摩川に流れ込んでいる小中沢を頂点に三角形を描いて進むから
距離も倍になる.小中沢には水量は少ないが小さな滝がかかっている.境集落に向けて折り返し、多摩川の縁に出ると東南に鋸尾根が見えてくる.ここから見えている尾根の上のでこぼこは、大岳山
登山ルートの瘤の登りが続くあたりであろう.
まもなく境集落の中を進むようになると、集落の右手上方に再び廃線跡が出現する.このページ一番上の写真のように、民家の裏に立ち並ぶコンクリート製の高い橋脚と緑色に塗られた鋼桁が連なっ
ている.線路を敷設する敷地が他にはなかったのだろう.線路は集落の空、民家の屋根の上を越えていく感じだ.
境集落の道は、青梅街道境橋の袂に向かって下っていくが、むかし道のルートになっているのは、やや登しながら進む右手の車道で白髭トンネルの上を越えてその先で右に折れる.白髭神社に登る
細い石段が右手に現れる.ここから桃ケ沢まで続く山峡の往還道の赴きがそのまま残る多摩川北岸の細道が始まる.
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白髪神社すぐ先には、弁慶の腕抜き岩が立っている.高さは1メートルほどの細長い岩で下部に丁度腕の太さほどの穴が貫通している. |
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進むと、むかしみちは青梅街道白髭トンネルの出口に接近する.車道の山側にはコンクリート桁の廃線高架橋がある.その先で民家の前を越えると、尾根の陰に惣岳不動尊がある.
多摩川、このあたりでは惣岳渓谷という呼び名があるようだ.現在でも結構急流に見えるが、ダムによって水量が調節されていなかったころは激流であったことだろう.
この谷の上を青く塗られたシダクラ吊橋がまたいでいる.先に何があるわけでもないが、つり橋を渡ってみることにした.ゆれに加えて見下ろす流れは急流であって、結構怖い感じがする.
この橋は古くからあったようで、昭和3年に発行された地形図でもこの場所に橋の印が見られる.当時も今も、橋の先に集落があるわけではなく、御前山の林間に続く作業道の入り口のようだ.
したがって渡りおえたら、そのまま引き返すしかない. |
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