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歩道入口 |
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その名が示すように、五日市は定期市の町.かつては谷口という地の利を得て商いで発展した町のようだ.檜原の山里で焼かれた
薪炭はここで買い取られ、市場である江戸に運ばれていったのだろう.
武蔵五日市駅をバスが出ると、進む檜原街道にそっては商店が続き、まだ山里といった感じは薄い.
この市街地を抜け、バスは秋川を渡る細い道路に入っていく.秋川の流れが限られた流路を探ってきた結果だろう. 流れを遡るには、ここで90度北に折れて狭い谷間に入っていかなければならない. 秋川筋の山に向かう時にはいつも、いよいよ山間に入ったと感じるのがちょうどこのあたりだ. この橋の袂に沢渡橋というバス停があって、今日初めて下車することになった. 新久保川橋で盆堀川を渡る.この川の左岸にある臼杵、市道山と、右岸の刈寄山は、あわせ て戸倉三山とよばれている.奥多摩入口には、ハイカーでにぎわう高水三山があって、その連想からか秋川の入口に位置している こちらの山々も、同じようなハイキングコースとの印象があるが、その規模はずっと大きいのであった.二万五千分の一地形図の、 「五日市」を開けば、図面の大半をこの山々が占めている.三山縦走にはそれなりの計画が必要とされるのである. 橋を渡ると、刈寄山の登山口となっている車道が分かれていき、その入口には8時間を要するという注意書きが添えられている. 都合よく三山にまとめられているが、刈寄山はいくらか雰囲気の違うように私は感じたから、時間の制約と合わせて 臼杵、市道の2つに絞って登るつもりで来た. 盆堀川に沿ってつけられている車道は、住民の生活道であるのだから、広くて整備された立派なものだ. 宮前橋を渡る.この橋からは、臼杵山から高度を落としてきたグミ尾根が末端を迎える山、城山が見えている. このグミ尾根が臼杵山の登山道になっている. 車道は細くなり、盆堀の家々の前に出た.集落を終えたところに歩道の入口がある.利用頻度は低いのか、少し荒れ た道が、尾根の斜面を登っていく.尾根の上に出ると、対岸の馬頭刈尾根がまず眼に入ってきた.手前の下には折れ曲 がった檜原街道に時折車が走っていくのが見下ろせる.先ほど見えていた城山までルートが続いていることが、立てられて いる指導標からわかる. 小さなピークを越えると荷田子からの道が合流している.植林の中の登りが続く.あたりの杉の木は見事に色づいているから、 花粉症の私には、はやくやりすごしてしまいたい登りだ.常用していた薬を忘れてきたのが若干心配になってくる. 登りが止まると、盆堀川が南に折れていき、砕石場があるのが見えていた. 再び登りが始まり、「戸倉山茱萸御前」と書かれた祠が傍にある場所に出る.地図にあるグミ御前だ. ここで一休みすることにした. 出発するとまもなく、落葉した細い木の林に出た.木々の間からは、大岳山、御前山が見えている.次に現れるピークは 秋川側を巻き、さらに次は南側を巻いていく.ユズリハクボと木にペイントされている.盆堀川が折れ曲がったところの少し上流で 合流しているのが棡葉窪で、その源頭に出たのだろう.登りが続きピークの北側に出ると、歩道は南西に向けて折れていった. 南面の若い植林に出ると、展望が良くなる.南向かいには高萱尾根のピークが並び、その左に盆堀川の谷が切れている. その後ろにある峰がどうやら刈寄山のようである. このピークの背後に走る送電線が、地形図にのっている新多摩変電所に向かうもの、北側に続く尾根が篠八窪尾根で、 途中の削りとられている部分が、刈寄川奥にある砕石場のようだ.その北端にも、先ほど見えていた砕石場が山を刻ん でいる.その先には五日市の市街が見えていた. ピークに登ったと思えば下っていく.高萱尾根のように、こちらもピークが一列に並んでいるのだろう. 次に現れた斜面は、見事に 急だった.この登りによって臼杵山に達する.細長い山頂部に出た.臼杵神社の祠があり、その隣は開けられていて視界がある. 全体が純白の富士山が、生藤山、熊倉山あたりの枯れた峰々の後ろに構えていた. ここには、檜原役場のある元郷からのルートも合流しているのだが、こちらは今通行止めになっている. 臼杵山842.1メートル 、地形図に載っている三角点は南側のピーク上にある.神社を後に市道山方面に向かえばすぐここを通過することになる. 三角点の先は急な下りが始まった.少し登り直すと松の木のあるピーク、さらに次のピークではグミ尾根が見えていた. ここからは、いくらか緩い下りが続く.左に高萱尾根の峰々が分かれていく.小さなピークに登ると前に幅の広い山が見えてきて、植林中の急な登り を終えると笹平バス停の分岐に出る.この50メートルほど先が、市道山の山頂であった. 直径5メートルほどしかないように思われる山頂広場、視界はなく、東京都の立てた 表示から795.1メートルの山頂にいることを感ずるしかない.刈寄山へは、ここから東に峰見通を辿り、とっきり場、入山峠を経て登ることになるが、 5.1kmと表示されているから、縦走するとなると、ここはまだ中間点にいる感じだ.千ケ沢経て盆堀の表示もあって、これは盆堀川の林道に下る道 のようだ. 笹平バス停の分岐までもどり、嫁取(ヨメトリ)坂と呼ばれるルートを下っていく.細い尾根を一気に急下降すると、 途中の小さなピークを巻くあたりからは市道山がそびえたっていた. 市道山を越え相模川筋の醍醐に出るこの道を人々が行き来していたという. 歩道の傍にあえて取り残されているようにみえる、松の大木は、その行路の喜びも辛さも見てきたのかも しれない.それも、登路か降路によって明らかに非対称であっただろう. 私のような登山者は、楽な登りと急な下りを求めてルートを決めることができるのだが、そこに住む 人々にとっては、その生まれた場所の地形に縛られて一生をおくらなければならないのであるから、 急坂であっても往復すべきものなのだ.そんな山の暮らしが存在していたことも、もう忘れ去られるのであろう. いくらか、勾配は緩くなり、臼杵山のものと思われる三角形のピークが右手に見えると、もう沢の音が届くようになる. その音の主である小坂子川を渡り林道に出ると、山頂を出てから35分が過ぎていた. 車道は舗装に変り、南秋川を渡った笹平のバス停まではさらに10分ほどを要した. |
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城山分岐 |
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秋川対岸の馬頭刈尾根. | ||||
植林の中を登る. |
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グミの祠 |
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五日市方面の遠望 |
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高萱尾根と刈寄山(左). |
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臼杵神社. |
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山頂から.この写真では見えないが、ピークの後ろには富士が見えていた. |
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臼杵山の三角点は、神社南側のもうひとつのピークにある. |
2002年3月10日歩く. |
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市道山の山頂 |
林道に出る |
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