屋久島への旅、起点となるのは鹿児島.鹿児島港は市街地からも近く海路が基本であるが、鹿児島に飛行機で向かうのであれば、 空港と市街地はかなり離れていることから、そのまま乗り継ぎ空路で屋久島に渡ってしまう方が時間に無駄がない.
海路はフェリーとジェットフォイルの運航があり、旅の目的によって選択すべきだろう.屋久島行きのジェットフォイルは 便数も多く運賃も安いので利用しやすい.時間も半分済むので通常はこれを利用することになるのだが、波に揺られる甲板に出て 風景を楽しみながら島に向かうフェリーの旅も、また離島旅の思い出に彩りを与えるものであり魅力がある.
宮之浦港
フェリー屋久島
はじめて私が屋久島に行ったときには、屋久島航路の主役はフェリー屋久島であった.
現在の鹿児島中央駅は西鹿児島駅と呼ばれていて、私は港に近い方の鹿児島駅で夜行を降り埠頭へ向かった.
切符売り場と小さな売店がある、薄暗いコンクリートの建物、待ち合わせ室のベンチで
出航を待つ.
いよいよ出航時刻が近づき外に出ると、そこには果物を並べて売っている人もいて島に渡る人々がそれを買い求めていた.
出航時刻寸前まであわただしく荷役作業は続 く.島へ渡す様々な物資はコンテナに積み上げられ、クレーンで吊り上げて甲板に並べていた.欠航しないかぎり毎朝こんな作業を経て生鮮食料品、新聞などが島に送りだされていったのであろう.
フェリーは昼過ぎに宮之浦港に着く.接岸すると、今度は運ばれてきた物資を下ろす作業が始まった.荷物を受け取った車は一刻を争うように走り出していく. 離島航路の定期便、桟橋は島への到着を出迎える人々や、これから鹿児島に渡る人々でにぎやかであった.
このフェリーは、洋上でよく揺れたことも私の記憶に残っている.大きく揺れる甲板、波しぶきのかかるベンチでうどんを食べたり、船内の小さな売店で買った菓子を、天井の低い 二等船室で食べたことも、この船の思い出だ.
この便自体は現在もなくなったわけではないのであるが、就航しているフェリーはトラックやバスをそのまま航送できるほどの
大型船に変わった.このフェリーが就航したてのころのことであるが、ひと足先に島にわたっていた私が友人を迎えに宮之浦港にいくと、観光バスや大型トラックがあわただしく
この船から上陸してきたのには驚かされた.
そこにかつての荷役作業の姿はなかった.屋久島に限らず離島便は急激に改善されている.鹿児島との間に海が延々と広がっていても、物資はトラックの荷台 に載ったまま移動できるようになったのである.かつては島の玄関であった宮之浦港、現在は通過点にすぎなくなった.
1日1往復で時刻は
8:30(鹿児島:南埠頭) >> 12:30(屋久島:宮之浦)
13:30(屋久島:宮之浦) >> 17:20(鹿児島:南埠頭)
運賃(二等):片道5200円、往復8500円.繁忙期は往復でも10400円.
運賃、時刻はフェリー屋久島2で確認を.
折田汽船 Phone 099-226-0731
2008年9月調べ.
フェリー屋久島
はじめて私が屋久島に行ったときには、屋久島航路の主役はフェリー屋久島であった.
フェリー屋久島:この写真は旧船で1990年ごろ撮影. |
出航時刻寸前まであわただしく荷役作業は続 く.島へ渡す様々な物資はコンテナに積み上げられ、クレーンで吊り上げて甲板に並べていた.欠航しないかぎり毎朝こんな作業を経て生鮮食料品、新聞などが島に送りだされていったのであろう.
フェリーは昼過ぎに宮之浦港に着く.接岸すると、今度は運ばれてきた物資を下ろす作業が始まった.荷物を受け取った車は一刻を争うように走り出していく. 離島航路の定期便、桟橋は島への到着を出迎える人々や、これから鹿児島に渡る人々でにぎやかであった.
このフェリーは、洋上でよく揺れたことも私の記憶に残っている.大きく揺れる甲板、波しぶきのかかるベンチでうどんを食べたり、船内の小さな売店で買った菓子を、天井の低い 二等船室で食べたことも、この船の思い出だ.
平成5年より就航した3400トンのフェリーで、離島航路としては十分すぎる大きさ. |
そこにかつての荷役作業の姿はなかった.屋久島に限らず離島便は急激に改善されている.鹿児島との間に海が延々と広がっていても、物資はトラックの荷台 に載ったまま移動できるようになったのである.かつては島の玄関であった宮之浦港、現在は通過点にすぎなくなった.
1日1往復で時刻は
8:30(鹿児島:南埠頭) >> 12:30(屋久島:宮之浦)
13:30(屋久島:宮之浦) >> 17:20(鹿児島:南埠頭)
運賃(二等):片道5200円、往復8500円.繁忙期は往復でも10400円.
運賃、時刻はフェリー屋久島2で確認を.
折田汽船 Phone 099-226-0731
2008年9月調べ.
フェリー屋久島から | |
宮之浦港:郵便、宅配、廃棄物と島を出る車輌の積載物も多彩. | 開聞岳:鹿児島湾入口の目印.薩摩富士とも呼ばれるきれいな三角錐が特徴. |
桜島:噴煙は市街にも達するという鹿児島港すぐ先にある火山. | 鹿児島港:南埠頭に接岸するフェリー屋久島2の船上. 北側岸壁には隣の種子島からきた、フェリーわかさが着岸する. |
第二屋久島丸 |
屋久島航路には、鹿児島商船が運航していた便もあった. 種子島と交代で隔日運航、このフェリーの運航日にあわせて旅の日程を決めた.この便は、昼に鹿児島港を出航したので、空路 鹿児島に向かったとき、このフェリーを使った.
私は利用したことがないのであるが、平成17年11月より鹿商海運(株)が、「はいびすかす」というフェリーを運航している. 片道2700円、往復4900円ともっとも安く屋久島に渡る手段だ.
鹿児島発は偶数日.種子島で一泊し宮之浦港へ翌朝接岸する.鹿児島港の乗り場は、谷山港で市街地から離れているので事前に確認を!
18:00(鹿児島:谷山港)>>、翌朝7:00(屋久島:宮之浦).
2006年7月調べ.
運賃、時刻表は、こちらで確認を.
鹿商海運株式会社 phone099-261-7000
|
トッピー |
屋久島の観光のありかたや島民の足を劇的に変えたのはトッピーであろう.鹿児島商船は、この航路にジェットフォイルを就航させ、 島へ渡る時間を半減させた.時間が短いだけでなく、便数も多いからバスのように使え、旅のありかたを大きく変えた.
フェリーだと、出航時間に合わせ前日鹿児島まで行き、翌日は実質渡島で終えていた旅の日程が、その日のうちに島までいくことが できるようになった.帰路も同様、移動時間短縮が可能であるから、2日間の節約になる.鹿児島から日帰りで島を訪れるツアーもあるよ うだから離島の旅も変わった.
難点は、座席におとなしく座っていなければならないことと、運賃の高さにあったが、現在はライバル、ロケットも就航し運賃が下げ られている.片道運賃はフェリーより安く、宮之浦港行きだけでなく、縄文杉や奥岳の入口に近い安房港行きもあって便利だ.
運賃は片道5000円、往復9000円.所要時間は2時間(直行便)から3時間(種子島経由便).
Phone 099−255−7888.
トッピーについてはこちらで情報(時刻表、乗場など)、および予約が得られます.
ロケット |
しばらく独走してきたトッピーを追うライバルが出現. 種子島にフェリーを就航させているコスモラインが、屋久島へもジェットフォイルを就航させた.
屋久島への便数が増え、競合による価格競争が出現したことは利用者にとってがありがたい. 屋久島はそこまで訪問者が増えているのであろうか.知名度の上昇は恐ろしいことである.
1日3便運航(種子島経由便を含む).運賃:片道5000円、往復9000円.
情報、予約はコスモラインのページでできる.
宮之浦港から出ていく太陽丸 |
フェリー太陽 時刻表・料金表(屋久島町)
屋久島航路の変遷
戦前、作家深田久弥がこの島に渡った時、橘丸という名の392トンの船が就航していたことが書き残されている.
艀をつかって上陸していたのは、この時代の離島航路では普通のことであったであろう.
その後の変遷を知ることができるのは、昭和44年発行されている「屋久島の自然」という本の旅案内で、当時4隻が屋久島航路 に就航していたことが書かれている.その中で最大のものは、鹿児島商船の屋久島丸で排水量1150トン.宮之浦港を経由し安房港 まで行っている.かつて乗ったことのある2183トンの第2屋久島丸は、この先代あるがゆえの命名なのであろう.
九州商船による580トンの藤丸という船も就航、現在フェリー屋久島を運航している折田商船は、353トンの第20折田丸 で大海原をわたっていた.島北端にある一湊に鹿児島からの舟が着いていたことがどこかに書かれていたが、この船は一湊をまず経由 して宮之浦、安房の順に廻っていた.
さらに小さな、第10折田丸(159トン)は一湊経由で永田、栗生、口之永良部と 島西側に航路を持っていたようで、周回道路が整備される前の交通形態、船が島内の足としても機能していたの かもしれない.
もし、現在この船があれば、その大きさといい、西部海岸を見れる点も魅力的で利用してみたい気がする. 小さかった記憶のあるフェリー屋久島も、排水量は調べてみれば981トン.これらの船にくらべたら十分大きなフェリーで あったようである.
ちなみに、この本の出版された当時(昭和44年)、JALと合併した日本エアシステムの前身である東亜航空が運航して いた屋久島便は16人乗りのヘロン号、まさに離島行き空路だ.
その後の変遷を知ることができるのは、昭和44年発行されている「屋久島の自然」という本の旅案内で、当時4隻が屋久島航路 に就航していたことが書かれている.その中で最大のものは、鹿児島商船の屋久島丸で排水量1150トン.宮之浦港を経由し安房港 まで行っている.かつて乗ったことのある2183トンの第2屋久島丸は、この先代あるがゆえの命名なのであろう.
九州商船による580トンの藤丸という船も就航、現在フェリー屋久島を運航している折田商船は、353トンの第20折田丸 で大海原をわたっていた.島北端にある一湊に鹿児島からの舟が着いていたことがどこかに書かれていたが、この船は一湊をまず経由 して宮之浦、安房の順に廻っていた.
さらに小さな、第10折田丸(159トン)は一湊経由で永田、栗生、口之永良部と 島西側に航路を持っていたようで、周回道路が整備される前の交通形態、船が島内の足としても機能していたの かもしれない.
もし、現在この船があれば、その大きさといい、西部海岸を見れる点も魅力的で利用してみたい気がする. 小さかった記憶のあるフェリー屋久島も、排水量は調べてみれば981トン.これらの船にくらべたら十分大きなフェリーで あったようである.
ちなみに、この本の出版された当時(昭和44年)、JALと合併した日本エアシステムの前身である東亜航空が運航して いた屋久島便は16人乗りのヘロン号、まさに離島行き空路だ.
屋久島空港
空港は島の北東、宮之浦と安房の間、小瀬田にある.周回道路横に駐車場がありその奥に空港の建物がある.もともと島の中でも辺鄙な場所で あったからここに空港を作ったのであろうか.周辺には特に見るところもないので、降り立ったらその足で目的地に向けて出発することになる.
ところで屋久島の最高峰、宮之浦岳は九州一の標高をもち、日本百名山の一つともなっている.この山を目指して全国から 来る登山客が最初に島の土を踏むのも、この屋久島空港かもしれない.百名山めぐりの登山者は忙しい.一刻も早く登山口に着き、 着いたら追われるように山に登って、到達すればさっさと帰る.
その「日本百名山」を選定し書いた深田久弥がこの島を訪れたのは戦前のことであり、その時の思い出話が、串田孫一編「忘れえぬ山」の中に、 語られている.この本が編集されたのも昭和30年代と、ずっと昔のことである.当時、屋久島に飛行場を作る計画があったようで、やがて飛行機が飛ぶよ うになると大きく変わるであろう島を危惧する追記がなされていた.
その後、この島にも空港が作られ飛行機で渡れるようになったのであるが、1500メートルしかない滑走路で使えるのは双発ターボプロップ機、平成9年この路線を利用 したのは126000人という統計があるが、単純に365日で割れば345、この空港には観光を目指す派手さがないのもうなずける.ジェットフォイルや大型フェリーが接岸する宮之浦港よりも、 かえって、小さなこの空港に降り立った時のほうが離島に来たことを、実感させられるほどだ.
ボンバルディアQ400がその役を担っている.座席数がそんなに多くないから、混雑する観光シーズンに希望する便を押さえるためには早めの予約が必要だろう.
始発便は、鹿児島空港を朝8時代に飛び立ってしまうので、鹿児島に向かった他の便から乗り継ぐことはできないから、お昼前の到着になる.
屋久島までの飛行時間は約40分.高台にある鹿児島空港を離陸し鹿児島市街上空を南下、鹿児島湾上に出る.しばらく飛行すると、 下には薩摩半島の南端にある円錐形の開聞岳が見えてきて、いよいよ洋上に出ることがわかる.
ここで、島までの距離の半分を終えているので、この先島の上空に出るのもすぐだ.天気がよければ、島中央部の山々を見ながら高度を落としていき、海上か ら海岸線にそって設けられた小さな飛行場に着陸する.
島内をまわる定期バスが空港前に停まるようになっているのではあるが、私は待たずにこれに乗った経験がない.島で飛行機を利用するような人はよほど急いで いるのだろうか.バスは航空ダイヤにきっちり合わせて入ってくるから、私のように預けた荷物を受けとってから出てくるような悠長な観光客を待っては くれないようで、次の便までまたなくてはならなかった.島民は自家用車、来島者は空港前のレンタカーと、バスの必要性はないのかもしれないが、 今では少しは改善されたかな?
鹿児島−屋久島間の航空便は日本エアコミュータによって一日6便
運行され、運賃は片道12370円であった. (2006年7月調べ)
予約はJALのページで.他の航空会社のwebは、こちらの旅のためのリンク集をご利用ください.
空港は島の北東、宮之浦と安房の間、小瀬田にある.周回道路横に駐車場がありその奥に空港の建物がある.もともと島の中でも辺鄙な場所で あったからここに空港を作ったのであろうか.周辺には特に見るところもないので、降り立ったらその足で目的地に向けて出発することになる.
ところで屋久島の最高峰、宮之浦岳は九州一の標高をもち、日本百名山の一つともなっている.この山を目指して全国から 来る登山客が最初に島の土を踏むのも、この屋久島空港かもしれない.百名山めぐりの登山者は忙しい.一刻も早く登山口に着き、 着いたら追われるように山に登って、到達すればさっさと帰る.
その「日本百名山」を選定し書いた深田久弥がこの島を訪れたのは戦前のことであり、その時の思い出話が、串田孫一編「忘れえぬ山」の中に、 語られている.この本が編集されたのも昭和30年代と、ずっと昔のことである.当時、屋久島に飛行場を作る計画があったようで、やがて飛行機が飛ぶよ うになると大きく変わるであろう島を危惧する追記がなされていた.
その後、この島にも空港が作られ飛行機で渡れるようになったのであるが、1500メートルしかない滑走路で使えるのは双発ターボプロップ機、平成9年この路線を利用 したのは126000人という統計があるが、単純に365日で割れば345、この空港には観光を目指す派手さがないのもうなずける.ジェットフォイルや大型フェリーが接岸する宮之浦港よりも、 かえって、小さなこの空港に降り立った時のほうが離島に来たことを、実感させられるほどだ.
屋久島空港.97年撮影. |
着陸にむけ高度を下げる機内より撮った空港.96年. |
上空からみた宮之浦. |
空の足、日本エアーコミュータが鹿児島空港を拠点に1日5往復のコミュータ便を運航.季節によって便数は変わるのかも知れないので利用するなら
まず調べて欲しい.
短い滑走路、観光客が押し寄せるようになっても、ターボプラップ機の運航だ.かつてはYS11だったが、2006年9月で退役、今は
鹿児島市街地:左下に向けて流れるのが甲突川で、その上に見える白い建物が鹿児島中央駅. |
開聞岳:鹿児島湾の入口 |
屋久島までの飛行時間は約40分.高台にある鹿児島空港を離陸し鹿児島市街上空を南下、鹿児島湾上に出る.しばらく飛行すると、 下には薩摩半島の南端にある円錐形の開聞岳が見えてきて、いよいよ洋上に出ることがわかる.
ここで、島までの距離の半分を終えているので、この先島の上空に出るのもすぐだ.天気がよければ、島中央部の山々を見ながら高度を落としていき、海上か ら海岸線にそって設けられた小さな飛行場に着陸する.
島内をまわる定期バスが空港前に停まるようになっているのではあるが、私は待たずにこれに乗った経験がない.島で飛行機を利用するような人はよほど急いで いるのだろうか.バスは航空ダイヤにきっちり合わせて入ってくるから、私のように預けた荷物を受けとってから出てくるような悠長な観光客を待っては くれないようで、次の便までまたなくてはならなかった.島民は自家用車、来島者は空港前のレンタカーと、バスの必要性はないのかもしれないが、 今では少しは改善されたかな?
鹿児島−屋久島間の航空便は日本エアコミュータによって一日6便
運行され、運賃は片道12370円であった. (2006年7月調べ)
予約はJALのページで.他の航空会社のwebは、こちらの旅のためのリンク集をご利用ください.
鹿児島中央駅 九州新幹線の開通もあって大きく変貌した鹿児島中央駅.
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鹿児島中央駅:観覧車のあるアミュプラザ鹿児島の左手に駅東口がある. | |||
鹿児島空港
九州新幹線が全通したとしても、東京からではさすがに時間で勝負にならない.
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鹿児島空港:西南諸島への空の玄関であることから主要空港との便も多く利用しやすい. | |||
鹿児島港 広い範囲にわたって港湾施設が設置されているが、フェリー屋久島が出航するのは本港南埠頭南側の岸壁であり、 ジェットフォイルも、その付け根にある専用桟橋から発着する. 繁華街である天文館などからは1km強の場所にあり、JR中央駅から歩いていくのには少し遠いだろう. いずろ通りまで市電やバスで行き、そこから歩くかタクシーを利用することになる. |
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鹿児島港:屋久島、種子島や奄美、沖縄といった西南諸島への海上輸送の拠点.また桜島を見る観光船の発着場もある. |
島内のバス |
宮之浦港(始発は宮之浦)から安房、島南西の栗生橋まで海岸線をバスが走っている.観光協会の島内交通のページに時刻表がある. 屋久島交通 Phone 09974−6−2221. |
タクシー・レンタカー |
タクシー運賃表.バス、タクシー、レンタカーを運営しているまつばんだ交通タクシーのページ. 主要観光スポットまでのタクシー料金表. |
詳しくは、下に記載した観光協会のページを見て欲しい. |
その他 |
屋久島観光協会 何はともあれ、旅行をするなら地元の情報を仕入れるべし.不特定多数の相手を快く受け入れてくれるのは観光協会.交通機関や宿泊の計画において、まず訪問すべし. |
国内旅行の準備はこちらのリンクから |