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水の干上がるところ、水干は笠取山の山頂直下にあり、多摩川の水源とされている.ここにおちた一滴は、東京湾まで流れるか、都民の口に入ることになる. |
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唐松尾山 黒エンジュ鞍部から |
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唐松尾山山頂は取り巻く木々に視界をさえぎられた地味なピークであるが、海抜2109.2メートル、
多摩川水系では最高峰. |
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和名倉山. | |
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西御殿岩.展望に優れ、北東に位置している和名倉山は、ここに立つと初めてその全貌をあらわす. |
和名倉山に続く尾根.仙波、吹上ノ頭とピークが続く. |
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芋ノ木ドッケ.よく目立つ存在でありながら、雲取山と並んでいることから、奥多摩では主役となることのない
山である. |
薄い緑色に染まっているあたりが将監峠の笹原.なだらかな尾根の背後には飛龍山があり、
左に三ツ山あたりの小刻みな凹凸がみえている.その左後ろのピークが雲取山. |
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大菩薩嶺の右には、均整のとれた三角錐、富士山が見えていた. |
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山ノ神土.和名倉山に向かう登山道が分岐する. |
将監峠. |
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将監峠のすぐ下には、青トタンの将監小屋が建つ. |
| 新緑のカラマツ林の中を這う林道を離れ、沢沿いを一登りすると、
雁峠に達した. 風もこの峠を通り抜けていくから、そこは静寂の地ではなかった.
開いた地図を引きちぎろうとする風に逆らい、西に並ぶ山々を眺めることにした.
ここでは、南アルプスの白い峰々はぼんやり見えていて主役にはならなかった.笛吹川の向かい、黒金山から乾
徳山に続く稜線だけははっきり見えている.
峠のまわりの緩やかさときわだって東に聳え立つ、笠取山を見誤る人はいないだろう.釣鐘型に盛り上がった
形は写真でみて知っていたとおりのものだった.
峠を後に、南に歩いていくと、小さな分水嶺の標柱があった.峠まで伝ってきた広川は笛吹川のものだし、
峠の東側には、荒川源流の一つ滝川のブドウ沢が登ってきているのである.
そして、東南に流れていく多摩川がこれに加わり、小さな高台は三川に分水する.
標石は東京都が設置しているのだが、それは他二川と多摩川の分水の地であるからだろう.
古くは玉川上水として江戸を潤し、水がめとして作られた奥多摩湖も、その寄与する割合を低
下させたとはいえ、多摩川は首都東京を支える大事な水源である.都市の死活を分けるだけに、
その管理も念入りに行われている.
川の流れに源を求めることはできない.無数の自然発生的に湧き出した水滴が、いつしかそれらしい流
れになっていくからである.しかし、その象徴的な起点を求めるため笠取山の南面に発する一之瀬川の水干に
その名誉を与えた.
全長138kmの多摩川、ここから先平野にはきだされるまでは、秩父山地に深く刻まれた流路を辿る.
流れは、一之瀬川、丹波川と名を変え、奥多摩湖の水面に達したころ、多摩川になる.したがって、笠取、
唐松尾、飛龍、これからめぐる山々は、同じ川筋にあるにもかかわらず、奥多摩の山として扱われることはない.
奥多摩最奥そして最高峰の雲取山へは、雁峠の道標によれば17.4kmであった.そこから、まだわずかな
前進を終えたところである.笠取山南西には防火帯が一直線に駆け上がりここを登る.まずはその直下で腰を
降ろし、そこを一足先に登っていった登山者を眺めながら、そのきつさを思い浮かべていた.
10分ほどの辛抱、一気に登ってしまおうと自分に言い聞かせ立ち上がる.
歩きはじめれば、背中の荷は重い.一歩進むたびに後ろに引かれる感じだ.全開の心臓に支えられた体中の血は足に向かっていく.倒れこむように
ピークに這い上がった.
その見かけも、山頂からの眺望も、笠取山は派手な山である.360度の視界、南には、富士が顔を出し、西には、黒金山と背後の奥千丈岳
の稜線、その左側の薄っすら見えている南アルプスの峰々はまだ白いままだ.
山頂の片隅で昼食を終え出発する.東に向かう歩道を辿ると、環境庁の設置した標示のある山頂に出た.さらにピークを越えると、
稜線をいく道は遮られ、右に下る土肌の真新しい道がついていた.
下ると、水干方面の分岐にでる.多摩川の源流とされている水干は山頂の南直下にあるから、ここから少し戻ることになる.将監小屋までまだ行程は長いから戻るのはきついけど、見ずに行ってしまうのも
惜しいからもどることにした.
すぐに、巻道の分岐に出る.ピークを巻いて将監小屋方面に向かう、水源監視道を辿るルートのものだが、黒エンジュはまだしも、唐松尾山を巻いてしま
うのは縦走を放棄してしまう感じだ.沢の源頭を巻いて道が北側によると、水干に出た.水のかれた沢と、その上に石碑がある.
先ほどの分岐までもどり、黒エンジュ尾根を進む.だらだらと尾根を登っていくが、午後の汗ばむ時間にはきつい.あとは地味な山しか残っていないように感じていたから、
笠取山の山頂に立ったとき、今日のめぼしい部分を終えてしまったように思えてきた.
なだらかなピークを巻いたが、これが黒エンジュと名づけられた山であろうか.
その後、小さなめりはりのないピークをいくつも登り降りする.岩のあるピークで立ち止まると、雲取山の見えていることに気づいた.一ノ瀬であろうか、沢下には集落の姿もある.
唐松尾山との鞍部に下っていく.せっかく稼いだ高度もここでかなり返してしまう感じだ.ここの部分はあきらかに切れ落ちていることを、翌日竜バミ側からみて気づいた.
休憩し、今日最後の登りと心して、唐松尾山の登りにとりかかるが、ここは意外に楽に登れてしまった.いくらか急な部分を登れば山頂に出たが、そこは狭く、コメツガなど木々に囲
まれて視界もない.秩父側に三頭三角点の標石があって、これを確認して早速下山することにした.
歩道脇に西御殿岩の登り口を示す小さな標示を見つけ、展望も良さそうだから寄り道していくことにした.唐松尾山の右手に見えていた2つの尖ったピークの一つのようだ.
もういくらか遅いから、途中で出会った下山者を最後に、後から登ってくることもなさそうである.鳥のさえずりと,下で木々をなびかせる風の音を聞きながら、ひとり静寂を楽しむ.
視界はすばらしいものであった.真っ先に目に着くのは、和名倉山だ.どこでも大きな図体をみせているこの山の全貌をここに立って、はじめてみたような感じがする.芋ノ木ドッケ、
雲取山と、その所在のわかりやすい山々が並ぶ.奥多摩の山々は、飛竜山の幅広い山容の陰に隠れてしまうようだ.その先には丹沢の山々が確認できる.
大菩薩嶺と富士山はちょうど南に位置する.
将監峠だと思われる場所も、すぐ前の下に見えているが、まだ1時間弱必要なようだ.時間は待ってくれない.未練残しながらもここを後にする.
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