屋久島の旅を記録したノート
十年一昔、屋久島も変わったけれど、旅行をとりまく環境も大きくかわった.私が1989年おこなった、屋久島行き超貧乏旅行が再現できるのか検討してみた.
さて私は、そのとき、実家のある静岡県焼津市から旅を始めた.これはまったく偶然であろうが、この旅を7日間で成立させていたひとつの条件になっていること に今回気づいた.
それは、最終日駅に到着したのが、12時55分といったぎりぎりであったことでもわかる.焼津駅からひとつ東の用宗駅までは5分ではいけないから、ぎりぎりの線 であった.当時の時刻表は惜しいことに引越しを経て廃棄してしまったし、調べ直す暇もないので確認できないのであるが、この時の列車も静岡行きであったように思う. したがって、青春18切符の一日以内という期限は切れ、残り分の運賃を負担することになっても、さしあたっては静岡駅までしかいけない.
これ以東にもどるとなると、静岡駅で2時間近く待ち、当時も深夜2時頃停まっていたと思われる大垣発、東京行きに乗り換えることになっただろう.そして朝5時 少し前に東京駅に着くことになったはずである.この列車は主要駅しかとまらないのであるから、この間の停まらない駅を起点にした場合には、降りれた駅でさらに始発まで またなけれなならないだろう.そして、この残り区間に青春18切符を使ったとしても、さらに2260円の支出を追加する必要があったことになる.
往路も東京を起点にした場合には、大垣行きは23時代に発車してしまうので、日の変わるまでの運賃を別に払って乗る必要がある. したがって青春18切符2枚きっちりでは門司まで往復できないことになるのだ.些細なことであるが、出費の増加をやすやすと認めてしまっては、 超貧乏旅行は成立しないから重要な問題だ.
2001年の状況
久しぶりに2001年の6月の時刻表を追っていって気づいたのは、JR九州の範囲には当時と大きな変化があることである. 急行かいもんはすでになく、もし行くとなると特急ドリームつばめを使うしかなさそうだ.帰路も急行日南はもうなくて、南宮崎発のドリームにちりんを使うしかない. 急行ではなく特急券が必要になるのであるが、出費に関しては思っていたよりは増加しないようだ.
さて、この2001年6月号の時刻表をもとに、かつてわたしの屋久島行きの旅を、再現してみようとの試みが本論である. 今やってみよう思う人のためにも、仮想計画を組み立ててみることにした.注意してほしいのは、私は最初からこの旅を実行するつもりはない、あくまで机上旅行である 点である.したがって、プランだけに本当にできるのか確認されていない.それと、私の中では実行されないことがわかっているから、財布の紐をぎりぎりまで締める情熱も 失っている.計画が最大限に出費や時間を切り詰められるように、しつこく最適化されているとは限らないことである.
広範囲に検討していけば、もっと時間やコストを縮められるルートの存在する可能性はまだ残っていると思われる.やはり実行する緊張感がないと このような緻密な作業は勤まらないものだ.
貧乏旅行を始めるにあたって
まず、最初に、大前提の青春18切符が発売されているのかどうか確認して欲しい.これがないとすべての目論見は水の泡だ.このプランを作った時期には 今年も発売されるのか確認できていないし、この切符が発売され続けたとしても、期間外の旅であれば、このプランは役に立たないからである.
それと、出発直前に、時刻表を調べることが必要だ.交通機関のタイムテーブルは変化し続けている. ここに記したのは、あくまで私が調べた瞬間のことである.
この旅も、当時と同じで、静岡県焼津市の実家から出発することにする.したがって、東京を起点にする場合には少し変更が必要だ. 大垣までを、23:33東京駅発の快速ムーンライトながら(375M)に変えるだけだ.この列車は6:55に大垣につくから、その後の日程を前倒しにできるかも 知れない.この案についてはこれ以上調べていないし、搭乗には指定券が必要であったりするから、青春18切符が適用可能か検討して欲しい.
実家を出発すると
さて、話を焼津駅にもどるとして、静岡駅4:59発、下り始発が5:11に焼津駅に入ってくるので、この電車に乗りこむ.夏で明るくなるのは早いから、 ふるさとの沿線をみながら進む.この時間だと通勤客もいないから、車内ががらがらであると思う.
6:05浜松駅に着く.ここの乗り継ぎ時間が短くて、当時も心配の種だったのだが、それは現在でも変わらない.2分後の、6:07分に大垣行きが 出発していく.私の乗り換えは同じホームの反対側であったが、今はどうであろうか. 浜名湖を越え、県境部では乗客は少ない.平日なら、豊橋あたりでそろそろ通勤客が乗ってくる.名古屋駅7:34着、ここで4分停車して走り始める.
大垣駅8:10に到着する、この電車は特快である.私の記録によると8:47に大垣に着いているから、当時は各駅停車で向かったのだろうか. 名古屋周辺はそのころ何回も乗っているが、浜松発の快速は少なかったように記憶している.8:12発米原行きに乗り換え、8:47に米原駅に着く. ここも思い出の多く残る、旅の中継点である.屋久島行きでは、朝食としておにぎりを買い求めた記憶がある.
8:56発、新快速姫路行きで11:12姫路に着く.新快速は貧乏旅行の救世主であった.運航区間が長くて、乗り換えなくて済むだけにありがたいし、 快速で駅を飛び越すから当然スピードも速い.記録によると、姫路は12:39についている.現行スケジュールではここまでで、1時間ほど節約したことになる. しかし順調にはいかない.12:04三原行きまでつながる電車はないから30分ほどロスしてしまう.岡山に13:26につき、当時より1時間ほど早くなるから やむおえない.この列車はそのまま14:57三原に着く.
岡山で、ひとつ後の1361M、13:44発に乗り換えるのもひとつの方法だ.三原で結局この列車に乗り換えることになるからだ. 15:11三原を出ると岩国には17:02.
岡山から岩国は夏の午後、扇風機は熱くなった空気をかき混ぜ、私は気が滅入ってしまったが、さすがに今は冷房になっただろうか.1時間ほど遅くこの区間 を通っているわけで、18:12に岩国についていた.岩国の前後だったと思うが通勤時間帯が始まり、車内が混みあってきたのも記憶に残っている. 17:24に561Mは出発し、終点下関には20:28到着する.
関門海峡を越える
わずかな区間であるが、関門トンネルを越える部分が別になるのはやむおえない.20:31発でトンネルを越えて、門司には20:38に着く.ここで門司港からくる 4379Mに乗り換えてしまおう.荒木行きで、久留米駅に22:49に到達する.さらに各駅停車に乗って進路を伸ばすには、後を追ってくる2367Mに乗り換え、大牟田へ23:56到着する.
大牟田からは1:05特急ドリームつばめに乗り込み、本日は就寝.明日からの屋久島のために旅の疲れはできる限り落とすことにしよう. 5:54に西鹿児島駅に着く.建て替えられた駅舎は恐ろしく立派だ.それとともに、個性はなくなり、国内どこにでもある都市部の駅といった感じになった. 駅舎内にファーストフードやコンビ二もある.開いていれば朝食といったところだが、どうだろうか.
屋久島に渡る
宮之浦港行き、折田汽船運航のフェリー屋久島は、鹿児島港北埠頭を8:45に出航する.鹿児島は路面を走る市電が残る町で、乗って港まで移動するか、 一つ先の鹿児島駅までJRで行きそこから歩くことになる.後者では、西鹿児島駅で7:08まで待たなければならない.乗車時間はわずか4分で鹿児島駅に着 く.どちらのルートが早くつけるのかは調べていないので不明だ.
島に安くわたるにはフェリーしかないが、運賃は2等船室で5200円と決して安くはない.待ちに待った屋久島の土を踏むのは4時間近く後の12:30が予定だ. 港からが13:00に栗生橋行きのバスが出ている.これに乗り込み目的地に向かうことになる.
もし、貧乏旅行なまま、縄文杉までをみたいのであれば、バスを楠川で降り、楠川歩道で辻峠を越えて大株歩道に入ることになる.
楠川までのバス代だけですむから、これが最安のコースである.車道部分の午後の日差しはきつい.いったん森に入ってしまえばいくらか涼しくなるが、 今度は登りが苦になり始めるだろう.三本杉を通り過ぎると、すぐに白谷雲水峡、もう一息がんばれば白谷山荘があって、ここに泊まることになる. バス停から4時間強の歩きを終えて屋久島の初日は無事終わる.
ちなみに、朝の8時45分に羽田を発った乗客が、鹿児島空港で乗り換えて屋久島の滑走路に降りたのは1時間前の 11時25分のことである.もし正規料金で支払ったなら、羽田鹿児島間33、000円と鹿児島屋久島間11、370円であわせて44、370円である.それに対して、貧乏旅行をした場合 、旅費は、大牟田、鹿児島間251kmで4、620円、プラス特急料金2、390円であわせて7010円、フェリーが5、200円、青春18切符1枚で2、250円と 合計14、460円であり、3分の1で済んだことになる.
時間では、飛行機3時間、東京起点で貧乏旅行をした場合には37時間と見積もられ12倍だ.もし、青春18切符が使用できない場合には、東京−西鹿児島間の運賃16、280円が必要となる から、これにフェリーと特急料金をあわせると23、870円、航空運賃の半分が節約される.
少しはスピードを上がり、シートも楽な新幹線と特急を乗り継ぐようにしたら、東京−西鹿児島間の特急料金9、580円を前期運賃に加え、さらにフェリーをあわせると、31、060円である. この場合でも、時間は20時間ほどかかるから、飛行機にしようか考えることだろう.航空運賃だって、割引を使えばもう少しは下がるはずだからである.
縄文杉を見る
白谷山荘から縄文杉は片道4時間半、往復と昼食で10時間の日程とみてよい。朝6時に出かけて、順調にいけば夕方にはこの小屋までもどれることになる. ここにもどるようにすれば、荷物は最少限に減らせる利点がある.
また、縄文杉を見たあとはそのまま高塚小屋に泊まり、翌日下山する方法もあるだろう.この場合この日の日程は片道になるから楽になるが、翌日は下山のみでつぶれ てしまう.
高塚小屋で一泊すれば、下りは楠川歩道でなくて、森林軌道を安房川沿いに荒川林道まで下り、林道を歩いて尾立峠に登る方法もある. 荒川林道が安房林道に合わさる場所で、ここに荒川ダム入口のバス停がある.一日一便バスが通っているようだがまず利用できないのではないだろうか.
あるいは、ここでタクシーを呼ぶしかないだろう.ここには公衆電話があったと思うが、今でもあるのだろうか.もしなければ、ヤクスギランドに出るしかないから、山に入る前に 予約しておいて迎えにきてもらうのが無難だ.
切り詰めてきた資金を、ここで思い切ってタクシー代に散財するかどうかであるが、もし払いたくなければ、楠川歩道をもどるように計画した方が良い. 安房までは長いから疲れ具合にもよるが少しきつすぎる.複数で乗るのであれば、割り勘にすれば思ったよりかからないから検討の余地はある.事前に料金はよく調べてみてほしい.
楠川歩道でもどれば、途中白谷雲水峡を見て、さらに歩道を下っていけば周回道路に出て楠川温泉もある.また白谷雲水峡から林道伝いに、宮之浦に下っていくこともできる だろう.いずれにしても自分の足に合わせて所要時間の見積もりは慎重にしてほしい.
この日の夜をどう安く泊まるかであるが、ひとつは宮之浦川をはさんで港の対岸にあるオーシャンビューキャンプ場でテントを張ることであろう. かつて私が泊まり、水をえられなくてつらい思いをした泊川のキャンプ場と違い、こちらには水道はあるし、整備はいき届いている.その思い出の泊川キャンプ場はなくなってしまったようだ.
このキャンプ場は宮之浦まで歩いていける距離にあって、買い物にも便利だ.最後の夜は、あまったわずかな資金で海産物と地元の焼酎三岳を、買いこんできては盛大な打ち上げをやるのも 良い.翌日、フェリー乗場へも歩いていける.
ただ、その一泊のためにテントを持っていくのはためらわれるかもしれない.その場合には素泊まり民宿の晴耕雨読あたりに泊まることになるのであろうか. 宮之浦郵便局の裏あたりにあって一泊3、500円くらいだったはずだ.
実は、この宿は知り合いと立ち寄ったことがあるだけで、実際に泊まったことはないので、参考に上げたものの保障はしかねる. 私は、何回も屋久島に足を運んでいながら、宿に泊まった経験は少ない.永田歩道を歩いたとき、永田で二泊したきりだった. 島ではキャンプ場や、小屋に泊まってきたことになる.
ここまで順調にすすめば、驚くことに、出発してからまだ4日目の夕方である.縄文杉を見るだけであれば、これで、翌日午後フェリーにのり、後は長大な家路を急げばよい. 帰路のプランは時間がなかったので、今回は立てなかったが、時刻表をざっと見通した限り、起点が静岡であれば6日目の深夜に着いていそうなのである.
結論
最後に総費用を計算してみると、交通費は往復で倍にするから約3万円、食事やバスなど細かな支出を1万円と見積もれば、 最低4万円で屋久島旅行を経験できることになる.ただしこの場合6日間を必要とする.
以上が結論であって、私がかつて行ったときより、若干高くはなっているが、貧乏旅行は今でも可能であることになる. これに時間と資金を追加できれば、より充実した屋久島の旅が実現するのである.
さて私は、そのとき、実家のある静岡県焼津市から旅を始めた.これはまったく偶然であろうが、この旅を7日間で成立させていたひとつの条件になっていること に今回気づいた.
それは、最終日駅に到着したのが、12時55分といったぎりぎりであったことでもわかる.焼津駅からひとつ東の用宗駅までは5分ではいけないから、ぎりぎりの線 であった.当時の時刻表は惜しいことに引越しを経て廃棄してしまったし、調べ直す暇もないので確認できないのであるが、この時の列車も静岡行きであったように思う. したがって、青春18切符の一日以内という期限は切れ、残り分の運賃を負担することになっても、さしあたっては静岡駅までしかいけない.
これ以東にもどるとなると、静岡駅で2時間近く待ち、当時も深夜2時頃停まっていたと思われる大垣発、東京行きに乗り換えることになっただろう.そして朝5時 少し前に東京駅に着くことになったはずである.この列車は主要駅しかとまらないのであるから、この間の停まらない駅を起点にした場合には、降りれた駅でさらに始発まで またなけれなならないだろう.そして、この残り区間に青春18切符を使ったとしても、さらに2260円の支出を追加する必要があったことになる.
往路も東京を起点にした場合には、大垣行きは23時代に発車してしまうので、日の変わるまでの運賃を別に払って乗る必要がある. したがって青春18切符2枚きっちりでは門司まで往復できないことになるのだ.些細なことであるが、出費の増加をやすやすと認めてしまっては、 超貧乏旅行は成立しないから重要な問題だ.
2001年の状況
久しぶりに2001年の6月の時刻表を追っていって気づいたのは、JR九州の範囲には当時と大きな変化があることである. 急行かいもんはすでになく、もし行くとなると特急ドリームつばめを使うしかなさそうだ.帰路も急行日南はもうなくて、南宮崎発のドリームにちりんを使うしかない. 急行ではなく特急券が必要になるのであるが、出費に関しては思っていたよりは増加しないようだ.
さて、この2001年6月号の時刻表をもとに、かつてわたしの屋久島行きの旅を、再現してみようとの試みが本論である. 今やってみよう思う人のためにも、仮想計画を組み立ててみることにした.注意してほしいのは、私は最初からこの旅を実行するつもりはない、あくまで机上旅行である 点である.したがって、プランだけに本当にできるのか確認されていない.それと、私の中では実行されないことがわかっているから、財布の紐をぎりぎりまで締める情熱も 失っている.計画が最大限に出費や時間を切り詰められるように、しつこく最適化されているとは限らないことである.
広範囲に検討していけば、もっと時間やコストを縮められるルートの存在する可能性はまだ残っていると思われる.やはり実行する緊張感がないと このような緻密な作業は勤まらないものだ.
貧乏旅行を始めるにあたって
まず、最初に、大前提の青春18切符が発売されているのかどうか確認して欲しい.これがないとすべての目論見は水の泡だ.このプランを作った時期には 今年も発売されるのか確認できていないし、この切符が発売され続けたとしても、期間外の旅であれば、このプランは役に立たないからである.
それと、出発直前に、時刻表を調べることが必要だ.交通機関のタイムテーブルは変化し続けている. ここに記したのは、あくまで私が調べた瞬間のことである.
この旅も、当時と同じで、静岡県焼津市の実家から出発することにする.したがって、東京を起点にする場合には少し変更が必要だ. 大垣までを、23:33東京駅発の快速ムーンライトながら(375M)に変えるだけだ.この列車は6:55に大垣につくから、その後の日程を前倒しにできるかも 知れない.この案についてはこれ以上調べていないし、搭乗には指定券が必要であったりするから、青春18切符が適用可能か検討して欲しい.
実家を出発すると
さて、話を焼津駅にもどるとして、静岡駅4:59発、下り始発が5:11に焼津駅に入ってくるので、この電車に乗りこむ.夏で明るくなるのは早いから、 ふるさとの沿線をみながら進む.この時間だと通勤客もいないから、車内ががらがらであると思う.
6:05浜松駅に着く.ここの乗り継ぎ時間が短くて、当時も心配の種だったのだが、それは現在でも変わらない.2分後の、6:07分に大垣行きが 出発していく.私の乗り換えは同じホームの反対側であったが、今はどうであろうか. 浜名湖を越え、県境部では乗客は少ない.平日なら、豊橋あたりでそろそろ通勤客が乗ってくる.名古屋駅7:34着、ここで4分停車して走り始める.
大垣駅8:10に到着する、この電車は特快である.私の記録によると8:47に大垣に着いているから、当時は各駅停車で向かったのだろうか. 名古屋周辺はそのころ何回も乗っているが、浜松発の快速は少なかったように記憶している.8:12発米原行きに乗り換え、8:47に米原駅に着く. ここも思い出の多く残る、旅の中継点である.屋久島行きでは、朝食としておにぎりを買い求めた記憶がある.
8:56発、新快速姫路行きで11:12姫路に着く.新快速は貧乏旅行の救世主であった.運航区間が長くて、乗り換えなくて済むだけにありがたいし、 快速で駅を飛び越すから当然スピードも速い.記録によると、姫路は12:39についている.現行スケジュールではここまでで、1時間ほど節約したことになる. しかし順調にはいかない.12:04三原行きまでつながる電車はないから30分ほどロスしてしまう.岡山に13:26につき、当時より1時間ほど早くなるから やむおえない.この列車はそのまま14:57三原に着く.
岡山で、ひとつ後の1361M、13:44発に乗り換えるのもひとつの方法だ.三原で結局この列車に乗り換えることになるからだ. 15:11三原を出ると岩国には17:02.
岡山から岩国は夏の午後、扇風機は熱くなった空気をかき混ぜ、私は気が滅入ってしまったが、さすがに今は冷房になっただろうか.1時間ほど遅くこの区間 を通っているわけで、18:12に岩国についていた.岩国の前後だったと思うが通勤時間帯が始まり、車内が混みあってきたのも記憶に残っている. 17:24に561Mは出発し、終点下関には20:28到着する.
関門海峡を越える
わずかな区間であるが、関門トンネルを越える部分が別になるのはやむおえない.20:31発でトンネルを越えて、門司には20:38に着く.ここで門司港からくる 4379Mに乗り換えてしまおう.荒木行きで、久留米駅に22:49に到達する.さらに各駅停車に乗って進路を伸ばすには、後を追ってくる2367Mに乗り換え、大牟田へ23:56到着する.
大牟田からは1:05特急ドリームつばめに乗り込み、本日は就寝.明日からの屋久島のために旅の疲れはできる限り落とすことにしよう. 5:54に西鹿児島駅に着く.建て替えられた駅舎は恐ろしく立派だ.それとともに、個性はなくなり、国内どこにでもある都市部の駅といった感じになった. 駅舎内にファーストフードやコンビ二もある.開いていれば朝食といったところだが、どうだろうか.
屋久島に渡る
宮之浦港行き、折田汽船運航のフェリー屋久島は、鹿児島港北埠頭を8:45に出航する.鹿児島は路面を走る市電が残る町で、乗って港まで移動するか、 一つ先の鹿児島駅までJRで行きそこから歩くことになる.後者では、西鹿児島駅で7:08まで待たなければならない.乗車時間はわずか4分で鹿児島駅に着 く.どちらのルートが早くつけるのかは調べていないので不明だ.
島に安くわたるにはフェリーしかないが、運賃は2等船室で5200円と決して安くはない.待ちに待った屋久島の土を踏むのは4時間近く後の12:30が予定だ. 港からが13:00に栗生橋行きのバスが出ている.これに乗り込み目的地に向かうことになる.
もし、貧乏旅行なまま、縄文杉までをみたいのであれば、バスを楠川で降り、楠川歩道で辻峠を越えて大株歩道に入ることになる.
楠川までのバス代だけですむから、これが最安のコースである.車道部分の午後の日差しはきつい.いったん森に入ってしまえばいくらか涼しくなるが、 今度は登りが苦になり始めるだろう.三本杉を通り過ぎると、すぐに白谷雲水峡、もう一息がんばれば白谷山荘があって、ここに泊まることになる. バス停から4時間強の歩きを終えて屋久島の初日は無事終わる.
ちなみに、朝の8時45分に羽田を発った乗客が、鹿児島空港で乗り換えて屋久島の滑走路に降りたのは1時間前の 11時25分のことである.もし正規料金で支払ったなら、羽田鹿児島間33、000円と鹿児島屋久島間11、370円であわせて44、370円である.それに対して、貧乏旅行をした場合 、旅費は、大牟田、鹿児島間251kmで4、620円、プラス特急料金2、390円であわせて7010円、フェリーが5、200円、青春18切符1枚で2、250円と 合計14、460円であり、3分の1で済んだことになる.
時間では、飛行機3時間、東京起点で貧乏旅行をした場合には37時間と見積もられ12倍だ.もし、青春18切符が使用できない場合には、東京−西鹿児島間の運賃16、280円が必要となる から、これにフェリーと特急料金をあわせると23、870円、航空運賃の半分が節約される.
少しはスピードを上がり、シートも楽な新幹線と特急を乗り継ぐようにしたら、東京−西鹿児島間の特急料金9、580円を前期運賃に加え、さらにフェリーをあわせると、31、060円である. この場合でも、時間は20時間ほどかかるから、飛行機にしようか考えることだろう.航空運賃だって、割引を使えばもう少しは下がるはずだからである.
縄文杉を見る
白谷山荘から縄文杉は片道4時間半、往復と昼食で10時間の日程とみてよい。朝6時に出かけて、順調にいけば夕方にはこの小屋までもどれることになる. ここにもどるようにすれば、荷物は最少限に減らせる利点がある.
また、縄文杉を見たあとはそのまま高塚小屋に泊まり、翌日下山する方法もあるだろう.この場合この日の日程は片道になるから楽になるが、翌日は下山のみでつぶれ てしまう.
高塚小屋で一泊すれば、下りは楠川歩道でなくて、森林軌道を安房川沿いに荒川林道まで下り、林道を歩いて尾立峠に登る方法もある. 荒川林道が安房林道に合わさる場所で、ここに荒川ダム入口のバス停がある.一日一便バスが通っているようだがまず利用できないのではないだろうか.
あるいは、ここでタクシーを呼ぶしかないだろう.ここには公衆電話があったと思うが、今でもあるのだろうか.もしなければ、ヤクスギランドに出るしかないから、山に入る前に 予約しておいて迎えにきてもらうのが無難だ.
切り詰めてきた資金を、ここで思い切ってタクシー代に散財するかどうかであるが、もし払いたくなければ、楠川歩道をもどるように計画した方が良い. 安房までは長いから疲れ具合にもよるが少しきつすぎる.複数で乗るのであれば、割り勘にすれば思ったよりかからないから検討の余地はある.事前に料金はよく調べてみてほしい.
楠川歩道でもどれば、途中白谷雲水峡を見て、さらに歩道を下っていけば周回道路に出て楠川温泉もある.また白谷雲水峡から林道伝いに、宮之浦に下っていくこともできる だろう.いずれにしても自分の足に合わせて所要時間の見積もりは慎重にしてほしい.
この日の夜をどう安く泊まるかであるが、ひとつは宮之浦川をはさんで港の対岸にあるオーシャンビューキャンプ場でテントを張ることであろう. かつて私が泊まり、水をえられなくてつらい思いをした泊川のキャンプ場と違い、こちらには水道はあるし、整備はいき届いている.その思い出の泊川キャンプ場はなくなってしまったようだ.
このキャンプ場は宮之浦まで歩いていける距離にあって、買い物にも便利だ.最後の夜は、あまったわずかな資金で海産物と地元の焼酎三岳を、買いこんできては盛大な打ち上げをやるのも 良い.翌日、フェリー乗場へも歩いていける.
ただ、その一泊のためにテントを持っていくのはためらわれるかもしれない.その場合には素泊まり民宿の晴耕雨読あたりに泊まることになるのであろうか. 宮之浦郵便局の裏あたりにあって一泊3、500円くらいだったはずだ.
実は、この宿は知り合いと立ち寄ったことがあるだけで、実際に泊まったことはないので、参考に上げたものの保障はしかねる. 私は、何回も屋久島に足を運んでいながら、宿に泊まった経験は少ない.永田歩道を歩いたとき、永田で二泊したきりだった. 島ではキャンプ場や、小屋に泊まってきたことになる.
ここまで順調にすすめば、驚くことに、出発してからまだ4日目の夕方である.縄文杉を見るだけであれば、これで、翌日午後フェリーにのり、後は長大な家路を急げばよい. 帰路のプランは時間がなかったので、今回は立てなかったが、時刻表をざっと見通した限り、起点が静岡であれば6日目の深夜に着いていそうなのである.
結論
最後に総費用を計算してみると、交通費は往復で倍にするから約3万円、食事やバスなど細かな支出を1万円と見積もれば、 最低4万円で屋久島旅行を経験できることになる.ただしこの場合6日間を必要とする.
以上が結論であって、私がかつて行ったときより、若干高くはなっているが、貧乏旅行は今でも可能であることになる. これに時間と資金を追加できれば、より充実した屋久島の旅が実現するのである.
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