鋸尾根の全貌がわかるのは、南側の浅間尾根.これは冠雪した鋸尾根の姿で、球状のピークが大岳山、左奥が
奥多摩側になる.この稜線上を歩くのが鋸尾根コースである. |
大岳山の山頂は広場になっていて眺望もよい.標高は1267メートル、奥多摩三山のひとつで、奥多摩の山
の代表格.訪れる人も多くいつでもにぎやかな山頂である. |
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奥多摩で知られた山といえば、大岳山と川苔山が並ぶのではないだろうか.大岳山へ北の鋸尾根から登るコースは奥多摩駅が始点となるから、バスの時刻を気にすることなく
出かけられる.
奥多摩駅を歩き始め、氷川交差点を渡り昭和橋で多摩川をわたる.この橋の真下には氷川キャンプ場があって、夏なら河原一面に張られたテントを見下ろすことになるので あるが、今日は見るからに冷たそうな水が流れているのみだ.キャンプ場入口の向かいに鋸尾根登山道の入口はある.登山道に入ると、すぐに林道経由の道が合わさってくる. ここには海沢から登ってくる道も合流している.林道経由でも登れるようであるが、ここは当然、登山道を行く.急な石段が現れて、凍りそうに冷えきった鉄の手すりを握り、一段一段 登っていく.せっかく慎重に登るのだからと、段数を数えていったら188段もあった.石段の上には赤い五重の塔が建つ広場があって、ここが愛宕山の山頂部.愛宕山は奥多摩駅か ら正面に、高くこんもりと盛り上がってみえるピークである.下からでも頂上付近の木々の間に赤い建物が見えているのであるが、今立っているのはそこである. 下には氷川の集落、その奥に本仁田山の尾根が降りてきているのを見渡せ、青梅線の走る音も聞こえてくる.子供のころ山に登り、昼間中のあわただしく活動している自分の町を眺 めたことがある.手に取れるように見えていても、実際見えている場所と今いる場所は離れているという矛盾が、その町から隔離されてしまったようで少しさびしさを感じた.ここは、それを ぐっと縮めてしまったようだ.登った山も小さければ、その下に広がる町も、私の故郷とはちがって、狭い山裾に凝縮している. 駅に目をやると、工場に伸びていた引き込み線のレールは取り去られていた.石灰石を積んだ貨車がいつでも停められていて、奥多摩駅の第一印象であったのだが、 もうそのような光景を見ることはできなくなってしまった.氷川のキャンプ場に泊まったときには、貨車を連ねた列車のきしむ音が暗闇に響かせていた.青梅線の歴史ともいえる鉄道による 石灰岩の輸送は廃止された.今は、昼間中トラックが黙々と走り去っていくのみである. 愛宕神社は、この広場の南側にあって小さな祠が建っている.南側の細い参道を下っていけば林道に出た.ここが地図にある登計峠であろう. 車道を歩いていくと、すぐに指導標があり登山道にもどる.アンテナと高圧線の鉄塔が建つ場所に出て、ここから植林の中に入ってしまった. 日陰の地面は氷結して白くなっていた.植林中の暗い登りがしばらく続き、林が切れると岩のコブが現れる.さらに、次のコブに登れば、小さな祠が建てられていた. 地図にある天聖神社.どのような信仰であるのか私はまったく知らないのであるが、小天狗、大天狗の彫られた2つの石柱が立っている. 右手の大沢に沿ってくねくねと曲がった林道が登ってきている.ふりかえると谷底の氷川集落をはさんだ向かいには、 六石山に向かって尾根が延び、そのかなり高い位置に建物が建っているのが見える.いったん下り、はしごのついた三つめのコブを登れば、木の根の絡み合 ったピークで、そのまま下らされる.4つめのコブを登ってからは単調な登りになって、植林の中に入ってしまった. 植えられる場所であれば、植林してあるのが、奥多摩の山なのかもしれない.青梅線の車窓からみる山々は、濃緑一色だ.大きな木材を必要とする首都圏に隣接した地なのだから、林業を生業として きたのも当然なのかもしれない.江戸の昔から多摩川の流れを使い木材を出荷していたのだからその歴史は古い.戦後復興でも一斉に切り出し、その後一斉に植林したことのつけが、春とともに首都圏 を襲う過ぎ花粉症の原因ともいわれている.
地図にある1046mであろう、高いピークが前にそびえている.登ってみれば、三角点があって正しかった.下ると大ダウの分岐に達する.大ダワには、奥多摩町の弁天橋から檜原村の神戸に抜け ている鋸山林道が通っている.この歩道はそこに向かい、そこから御前山に登っていく. ちょうど昼時であり、鋸山の狭い山頂には弁当を広げる人で混みあっていた.稜線中この山はひときわ高くとびでているから、ここから急登があると思っていたのだが、すでに登ってしまっていたようであ る.場所もなさそうだから、もう少し先まで歩くことにした. 鋸山を過ぎると、左手の沢筋は、海沢の支谷のものになる.右手には御前山.以前、栃寄沢から登ったときには、きわめて平凡な山でつまらなく感じたのであるが、こちらから見る 山容は三角形で実に堂々としている.日も出てきたし、すっかり葉の落ちてしまった林中の小径を落葉を踏みしめながら歩くのは、本当に気持ちよい.時々風が吹いてくると、冬場に唯一緑を残している笹が一斉 にゆれだす.それにつられて落ち葉はカサカサ騒ぎ出す. 再び植林になってしまい、こののどかな楽しみは奪われてしまったけれど、それもそう長くは続かなかった.海沢がいよいよせりあがってきた.昼食は山頂までお預けになりそうだ.左手の樹林の中には、白い幹のたぶんシラカンバと 思われる木々も混ざっている. 大岳、馬頭刈尾根の分岐が現れた.急な登りを終えると一旦平らになって、見覚えのある大木の下に出た.ここは、昨年海沢から登ってきた時に休んだ場所だ.このあたりがちょうど、肩の部分 であるのだろう.あとは最後のコブの登りが待っているだけだ. |
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山頂は、こんな冬の日であるにもかかわらず、まちまちに座って昼食をとる人で一杯だった.しかし、山頂を満喫した先客は一人一人と立ち去っていき、あたりは静かになった.湯を沸かしながら、眺望を楽しむ.今日はまずまずの
ようだ.大岳山の山頂では南東から南西にかけて展望が開けている.これから下る馬頭刈尾根が対座し、その向こうには、浅間尾根、笹尾根が連なっている.
山頂を後にする.岩場を降りていくと、直径が1メートルもあるような杉の大木が並ぶ杉木立の中に出た.大岳神社の社林で残されているのだろう.鳥居の下に大岳山荘、ここから一旦西に進み大岳沢の源頭部を迂回していく. 頂上を巻いてきたルートが合流してくる.白倉に下るルートが分かれていった.このルートは、大岳神社への参道であってもっともよく整備されている.昨年はここから下っているので、同じ道筋を降りていくのもつまらないし、時間にもいくらか余裕があるので、 今日はもう少し尾根伝いに進むことにした. すぐに、大滝への下降路も分岐していく.大岳山から流れだし馬頭尾根の北側の谷を流れていくのが大岳沢で、決して大きくはないが大滝 という滝がある.その大滝に下るルートだ.分岐をやり過ごすと少し登りに転じ、三頭山の方角がよく見える見晴台がある.コの字に並べられたベンチに腰を降ろす.最も手前は御前山の湯久保尾根、その背後に浅間、笹尾根と 3つの尾根が重なって見えている. 登りはまだ続き、切り開かれた場所に出た.頂上から、尾根の中途に見えていたあずまやはここにあった.富士見台と書かれているから、西南には富士が見えるのだろうが、その姿は隠されていた. 北西には下ってきた尾根が続き、谷の向かいが大岳山の山頂だ. 尾根は軍道まで続くのであるが、最後までおうこともない.つづら岩に出たので、千足沢に下ることにした.下れば、すぐにでもバス停に着くような気さえしたが、 道は急な上、なかなか下りが終わらない. 天狗滝、綾滝と2つの滝がこの千足沢にはある.綾滝に着いた時には、あたりはもう暗くなり始めていた.冬場で水は少なく、少し傾斜した平らな岩の上を、下で織布が巻き取られているかのように滑っていく姿は 見事であった.カサカサという音で織機の脇にいるかのようだ.こんな冬の情景からこの滝は命名されたのであろうか. 夕暮れ時の赤みをおびた穏やかな光のもとで見あげる天狗滝も見事であった.今日はちょっと得した気分に浸りながら、昨年きたときには、拡張工事を行っていた車道のところに出た. 急なコンクリートの車道をバス停にむけて一気に駆け下りる. |
国土地理院地図閲覧サービス (武蔵御岳) 登山地図:山と高原地図 奥多摩 <交通機関> 往路:JR青梅線奥多摩駅が登山道の始点. 帰路:北秋川には藤倉始発、武蔵五日市駅の西東京バスが利用できる.時間あたり1本が運行されているが夕方5時代にはない.冬に長時間のバス待ちはきついので 、これ以前につくように下山するほうが良いだろう. 2001年1月現在. | |
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浅間尾根から見た大岳山
馬頭刈尾根からみた大岳山 麓からみた大岳山 御前山 天狗滝 大岳沢の大滝 雪の鋸尾根 |
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海沢渓谷から大岳山に登る | 八高線多摩川橋梁より |
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