昭和の始めは、鋼橋技術の開花期であったようだ.さまざまな形式の鋼橋が
自動車道の普及につられて設置されていった時期である.河川下流部には、数多くの橋脚を並べた鋼製のカンチレバー橋やトラス橋が設置されていったのに対して、この橋のような、長さで100メートル程度、スパンが数十メートルという、現在からみれば中規模といえるような鋼製アーチ橋が大河川の上流部に架設されていった.
これらは、架設後半世紀を越え老朽化が進んでいるし、自動車道の黎明期につくられたものだけに幅員の狭いものが多いことから、次第に消えていく運命にあるようだ.
那珂川にかかるこの晩翠橋も、昭和7年に完成した長さ128メートルの上路式アーチ橋である.70メートルの主径間とその両側に半弧のアーチを並べた、W字型のバランストアーチといわれるタイプのもので、
晩翠橋以外には埼玉県荒川村の荒川橋だけしかないという、大変珍しい形式が採用されている.その荒川橋は、この橋より少し早い昭和3年に完成している.外観はきわめて素朴で、構成する部材も細くて見た目も美しい.
両者は設計者も異なっていて、関連はなさそうだが、私は荒川橋が大好きなだけに、他にも同じタイプのものがあることを知ってしまえば、どうしてもそれを見てみたくなった.
上路アーチ、そぞや山深くに架かっているかと調べてみれば、所在地は黒磯駅のすぐ近くだ.バイパスができて、今は県道になってしまったけれど、もともとは国道4号線、奥羽街道の橋であった.もしかしたら、那須に行ったとき、知らずに渡っていてもおかしくない場所だ.いや、那須岳に行くバスがこの上を通っているではないか.
ということは私は何回も渡っていたことになる.おまけに橋の先には晩翠橋というバス停までありから、名前も聞いていたのだ.上路橋は記憶に残らない.橋を渡ったことすら私は覚えていなかったのである.
何回も渡っているとはいえ、姿を見るのは今日が始めてだ.実際、足を運び目にした橋は、荒川橋をもとに私が頭に描いていた印象とはだいぶ違うものだった.上路式アーチ橋、全貌は下からみなければわからない.橋を渡り、信号機の元から土手の急斜面を下って河床におりた.写真を撮ろうと、いろいろとレンズの向きを変えて
みるのだが、どうにもしっくりとこない.妙に重々しいし、この橋の力強さが気に入らない.W字型のアーチ部が強調され過ぎている感じがするのであって、このことばかりが気になってしまう.旭橋や永代橋のように、力強いアーチ橋はいくつもあるし、それだからといってこれらの橋が美しくないと感じることはない.やはりアーチはその完結
性が必要なのであろうか.この橋ではバランスドアーチの両端が邪魔をしているように感じられる.それらの弧が突然途切れてしまうからであろう.同じバランスドアーチの荒川橋ではこの点が気にならなかったのが不思議だ.
こちらはつくりが華奢であることが幸いしていたのかもしれない.期待一杯の晩翠橋訪問は、ちょっと気落ちした帰路になってしまった. |