富士山の海抜は3776メートルで国内ダントツの一位だ.続く高峰、南アルプスの 北岳とは500メートル以上の差がある. 南は駿河湾の海岸線まで達するなだらかで広い裾野をもち、その上に整った円錐形を乗せている.姿が美しい独立峰である富士は古来より名山、霊山としてあがめられてきたが、 この富士を見たときに抱く美意識は、日本に生まれたわれわれが山姿を美しいかどうかを判断する際の基準ともなっていて、滑らかで均整のとれた山体、すなわち富士こそは は美しい山姿の基準、秀峰の理念形となっているのである.
よって、その富士の姿にあやかって際だった容姿をもつがゆえに富士の名を冠する山が存在している.これは特殊な例だろうが、シアトルを旅行したとき、そこにはタ コマ富士というものさえあった.かつて海を渡った人々は、異国の地に富士を見い出していた.ふるさとの富士は多く、利尻富士、 薩摩富士など、富士の名に恥じない秀峰だ.しかし、それらの山の姿を実際に目にしたとき、 その違いにこそ、私の関心がむかってしまった.本物と比べるとこれらの山は少しとがりすぎている.それまで、あまり意識しなかった、広い裾野をもつ成層火山、富士の重量感と安定感、これは 富士の第一印象だったようだし、当然ながら火口のある山頂は尖っていない.
そして三角錐だって、誰もが思い浮かべるものより実際はずいぶん鈍角である.広重、文晁の描いた富士は鋭角だけれど、実際には東西縦断 124度とかなり鈍角な山姿であることが、太宰治の富岳百景に出てくる.北斎 にいたっては30度くらいにまで尖っているそうで、世界的に有名な北斎の浮世絵「凱風快晴」、赤い富士はおそろしくとがったピークである.国内一の高峰、唯一無二の霊峰ゆえに超 絶していなければならない.北斎の与えた高さの誇張に、富士はこうでなければならないとだれもが納得してしまう.
もうひとつ富士の鋭角性で思い出すのは、明冶初期に日本を旅したイザベラバードの「日本奥地紀行」の 挿絵だ.これもまたおそろしく鋭角の富士である.日本に向けた最後の旅程、東京湾を横浜に向かったかつて人々の目に最初に写った異国の地の姿、それが鋭角の富士であったのだろうか.後に日本といえば 「ふじやま」となるきっかけを与えた絵であるのかもしれない.この尖りぐあいは、絵画的な修飾があるとはいえ、海に接した独立峰ゆえのものだと私は思う.ほかに比較すべき山がまだ現れないとき、孤高の 山、富士は水平線に聳え立っていたのではないだろうか.私も水平線上に頭を出す富士どのような姿をしているのか、一度見てみたいものと考えているのであるが、残念ながらいまだ 実現していない.
かつて、天気予報に富士山レーダー像というものがあったのを懐かしく思う. レーダーによる広い範囲の観測を行える場所として富士は選ばれ、山頂にそれを収める白いドームが建設 された。いつからか、天気予報は気象衛星の画像に変わり、私もその存在を忘れかけていのであるが、98 年に登ったときには、まだドームが乗っていた。運用終了により、残念ながら現在ドームは撤去されている。
雲海の御来光.日の出を真正面に見ることのできる九須志神社周辺には人々が陣取り、 だれもがこの時間を目指し登ってくるので、8合目から上の登山道は日の出直前は大渋滞だ.
私が初めて富士山に登ったのは、1998年の夏のことである.静岡県で育った私にとってたぶん富士はもっとも身近な山で あったが、登った経験はなかった。このときも、友人とどこか他の山へ出かけようと話していて、意外にも二人ともまだ富士には 登っていなかったことから、これを機会に登ってみようかという進展だった。まあ、よくありがちな成り行きで決めた富士登山ゆ えに、ルートについても、しっかり調べるまでもなく須走口から登ることに決めた。
日さえ決まってしまえば、富士登山ゆえに、準備はどうにも気合が入らない。富士登山イコール物見遊山、出発前日も、真夏の うだるような暑さ仕事を終え同僚とビヤホールで散々飲んでから帰宅、深夜になって同行する友人宅に向かうことになった。さすがに、 富士山とはいえ、明日も暑いだろうし、バテてしまうのではと心配になりながらも、友人宅に着けば冷たいビールの誘惑には勝てず、 前夜祭とばかりに、ここでも飲み始めてしまった。
翌朝、寝不足、ビールを残したままの体調で出発、どうにか小田急線に乗りこみ、新松田から久しぶりの御殿場線に乗ることに なった。悪いことに、はやくも天気も怪しくなってきたのだ。体調がよくない上に雨具の仕度が話題になるスタートでは、ますます気合 が入らない。
本当に久しぶりの御殿場駅におり立つ。なにしろここは静岡県なのだから、故郷に帰ってきた面持ちになっている。勝手しっていると ばかりに駅を出ると駅前があまりにきれいに整備されていて、私の記憶に残っている御殿場とはあまりにも乖離していた。 でも、このときはバス乗り場はまだ以前のままのような感じに、隅のほうにあった。
かろうじて座席が埋まるくらいの乗客数でバスは出発した。天気が悪そうとはいえ、夏本番の週末であるから、相当混み合うこと を覚悟していて、そのことではしゃいでいた私はまた裏切られた感じだ。実はこのとき、須走口は、富士の登山道としては、決して主流 ではなかったことをはじめて知った。子供のころ、富士といえば御殿場から登るものと思っていたようで、駅で富士で焼印をした杖をも った登山者をみると、いつもなぜか御殿場から戻ってきたものと思っていたのだ。まあ、静かに越したことはないので、かまわないなが ら、物見遊山気分でがさがさと登るのとは不釣合いのルートを選んでしまったようだ。
「富士は登らぬも馬鹿、二度登るも馬鹿」といわれている。実は、私もこのとき、これを一生に一度の富士登山とするつもりだった. でも結局2度めも3度目もあることになった。なぜなら、他のルートの雰囲気を知って見たいと思い始めたからである。時に夏を待ちな がら、一度はすべて自分の足で登ってみたいと思うことがある。麓からのルートはあまり使われていないから、かつては富士講でにぎわ ったという吉田口だけが現在唯一利用可能なようだ.他のコースでは、自動車道ができた下半部は下りであっても使われることはなく、 今では完全に廃れてしまっているようである。
そうなってしまったのも、無理がないと思うのは、この吉田口から挑戦してみようと計画を立ててみると、私の体力では一泊二日 で登るのはちょっと無理そうなのである。当然のことながら、富士山は容易な山ではない。五合目まで自動車で入れるからこそ、誰もが 容易に登れる山となったのであって、やはり、日本一の海抜は生易しいものでないことを改めて知らされた。
富士は古くから信仰のために登られた山でもある。名だたる高山の中で、最古の登頂記録をもっているという。人々は、登頂の苦 の代償にご利益が得られると信じて登ってきたのだ。私はそれを期待してはいないし、自動車道が通じているのであれば、あえて苦行 を積むタイプではない。結局この山に二日以上を費やす気になれないままになっている。
富士登山は行楽なのであって、登頂を果たせたことを喜ぶものではない。これは多くの人に共通した富士登山の認識であろう。 富士の登山道は5つある。行楽用には、河口湖口、富士宮口がもっぱら選ばれる。
東京から出かける行楽となれば、第一候補は河口湖口だろう。スタート地点は2380メートル、山頂の海抜からマイナスす れば約1400メートル、その標高差はちょうどハイキング気分で登れる山の上限といったところだ。もちろん、標高差だけでは判断でき ないのであるが、コースタイムでも5時間と短く、夕方、足が強ければ夜9時ごろに登り始めて十分山頂でご来光を拝める。何しろ新宿駅 から直行高速バスが出ているから、夕方出発、冷房のよく効いた車内でうとうとするころには、日も沈み涼しくなった登山口についている。 ルート沿いの山小屋の数も多く、安心して登れるコースであるが、難点はいうまでもなく過度の集中。9合目あたりから上、日の出前は相 当込み合い動きがとれないほど渋滞し、せっかく順調に登れたところで、山頂に達せず日の出を迎えることにもなりかねない。
西側からの登山道は富士宮が起点である。明治39年に作られ、かつては大宮口といわれていた。実際には村山口という今とは別の ルートが使われていたようだが、浅間神社と組みあわせは、古くからの由緒正しい富士登山口といえる。現在は2304mの富士宮口新五 合目が登り口となり、山頂へは最短の4時間30分で到達できる。このコースと御殿場口コースは剣ヶ峰のすぐ南にある浅間神社奥宮に通 じていて、北東側の3つのルートが久須志神社に到達するのと異なっている.
しかし、直径1kmほどの噴火口を一周できるお鉢まわりよばれているコースが両神社を結んでいるのだから、どちらへ着こうと変わ りはないはずだ。ところが、意外なことにお鉢周りをせずに下山する人も少なくない。国内最高点である剣ガ峰は浅間大社から馬ノ背と 呼ばれる最後の登りを終えれば到達できる。しかし、神社の周りの喧騒がまるでうそかのように、ここは人の姿が少ない。せっかく富士に 登りながら、真の山頂に達する人はきわめて少ないという現実に驚かされる。
地元、あるいはマイナーなコースを登りたい人がある程度集まるのが、第3のルートである御殿場から登る須走口である。 ところで、富士は合で示される10ステップで登るのは良く知られている。この合は標高を示しているのではなく、所要時間を分けることで でつけられているようだ。ゆえにスタートとなる同じ五合目を名乗っていても、標高はルートによってまちまちである。 特に低いのが御殿場口の1440メートル。このコースは宝永年間の噴火口近くを通って、緑のない荒涼とした富士を登ることになる。 コースタイムは8時間。長さから敬遠されているだろう。このコースの小屋は悲しいほど寂れてしまっている。ただ、宝永山下部の砂走りの 下山路は他では得られない富士登山の醍醐味、砂漠のような末端部も、国内では富士にしかない壮大な風景を楽しめるから、下りに使う人は いくらかいる。
最後は吉田口。信仰登山の歴史をもち、山麓からの登山道を唯一残しているの登山道で、富士吉田市の富士浅間神社に始まる。 かつて吉田口の西側に平行していたルートが河口湖口。自動車道スバルラインはこの軌跡に近いからだろう。現在は自動車道の終点、 五合目にある登山道入口が河口湖口と呼ばれている。河口湖口登山道は、六合目から上は吉田口登山道に合流しているから、結局は多くの 行楽登山者と吉田口の登山道をたどることになる。さらに八合目では須走口登山道も合流し、山頂部では、クレータ北西部の久須志神社に 到達する。
浅間大社の並びには郵便局も開設され、証明書も購入できる.私が始めて富士登山をした時のもので平成十年と記載がある。
富士には8つのピークがあると言われている。しかし、実際に8つのピークを極めるのは難しい。剣ガ峰と白山岳はその場所が はっきりしている。大日岳も登りがあるので、登れば一応ピークの実感がわく。あとは、大日岳と浅間大社の間に伊豆ガ岳、成就ガ岳 がある。この5つはどうにか確認できるのだが、残り3つは注意していないと見つからない。
西側から見る富士は両端が高くなっていて、北が白山岳、南が剣ガ峰である
高山、しかも火山であるから、山頂部に樹木はない。久須志神社から剣ガ峰間のお鉢回りコースがクレーター壁内側を通るところ 以外では、それぞれ方角の山々を眺望することができる。ただ、登山シーズンは雲が立ち込めていることが多いようで、残念ながら私 も文句なしの眺望に出会ったことはない。天気がよければ、雲は常に動いているから、待っていれば時にその切れ間に現れた近隣の山 々を特定するのはそう難しくない。
この写真は富士五湖のひとつ河口湖。湖の周囲は市街化しているので、歩道から、散らばる電灯の明かりの有無で湖岸が特定できる。
東側の眺望。雲のかなたに東京の都心部がある。
写真は西側には、一直線に並ぶ南アルプスの峰々.西側には、南アルプスとその北側に固まったピークである八ヶ岳が確認できる。 南アルプスのそれぞれのピークが、どの山のものであるのかまで特定したければ、その地区の地図とよく照合しないとわからないかもしれない。
JR中央本線が大月駅にさしかかると、車窓に岩肌を露出した小さな山が現れる.これが岩殿山で、山頂に立てば、 富士の眺望が美しい.大月は、相模川に流れ込む桂川と笹子川合流部に発展した町で、富士急の走る桂川谷筋の先に富士がある. 桂川や笹子川の周辺のピークで富士の展望の良い山は多い.このあたりから見える富士は、平らな山頂からなだらかに下降する、だれもが思い描く 富士の姿を代表するものである.
高川山は、初狩駅の東南に位置し、桂川と笹子川を分かつ尾根にある.山頂の視界は広く、桂川の谷筋の先に富士がそびえている.
富士東麓の湧水、忍野八海からみた富士.
東京の西縁の街では富士が見える場所は多い.福生あたりを走るJR青梅線、拝島駅あたりの八高線の車窓に、富士の姿をみつける ことができるし、冬季JR八王子駅の跨線橋の上からも、丹沢の大室山のとがったピークと並らぶ、台形の富士を見ることができる。
東京都西縁に広がる奥多摩の山々でも、富士の眺望が得られるピークは多い。都内最高峰で知られる雲取山からの富士の眺望はよ く知られているが、バス停から3時間ほどで山頂に立てる石尾根の鷹の巣山は手軽に行けて、空気の澄み切った冬の日、山頂に立てば 期待は裏切られない.奥多摩は、富士の北東方向に位置するため、その姿はもっとも美しいものである.ただ、お昼時は逆光となって しまうので、写真を写すには時間を選らんで登らなくてはならない. 鷹の巣山 雲取山 御前山
鷹ノ巣山より見た富士。
富士は休火山.最後に噴火したのは17世紀の宝永年間のこと.このとき吹き上げられた火山灰は江戸に降りそそいだという. 首都東京が富士のお膝元であることを知らされるのは、羽田空港を離陸すれば、ただっ広い平野の上に突き出した富士が まず目に入ることである.
静岡側からみた富士。 東海道新幹線の車窓に現れる富士の姿は、よく知られた富士の顔といえるかもしれない。三島駅あたりから、富士川を渡るまで間、天気さえ よければ間近に富士が現れる。
焼津港からの富士。私の故郷である焼津市も富士の眺望が良い町だ。海岸線に出れば、駿河湾をはさんで、富士の山体の全貌がみえる。 静岡側からみた富士は、右手に宝永火口のクレータがあり、全体に穏やかな山姿が特徴である。
To climb the Mt. Fuji
富士吉田口、駅を出て右手に歩いていくと、参道の金鳥居がある.
須走口ルートの起点は、売店があるのみ.準備を済ませた登山者は、まずは樹林の中の歩道を辿ることになる.
御殿場口の下山路下部にある砂走.
コースは5本
コース選択、とにかく楽に登りたい、山に不慣れであるならば、富士宮口か河口湖口を選ぶ。少しでも静かな登山をしたい のであれば須走口、人のやらないことをしてみたいのであれば御殿場口ということになるだろう。さらにまじめにこの山に挑戦 する場合は吉田口となるのかも知れない。
富士宮口、河口湖口は利用者が多く、他人を追っていけさえすれば地図を広げる必要はなく、道に迷う恐れもない。小屋も 多くあって休息場所になるし、緊急の事態でも対応できる。飲物も食物もお金さえあれば手にはいるし、行列に合わせて歩くとい う点も観光地ならではといったところだが、安全性が高いルートで安心だ。
須走口も適度に小屋があり、人通りもそこそこあるから危険は少ない。登山口はバス停と売店があるくらいで、登山道入口 というのにふさわしい雰囲気だ。ただ8合目で、山梨側ルートに合わさるので、そこからは行列のできる富士独特の登山スタイル になる。
これらと混同しない必要があるのは御殿場口だろう。ルートこそしっかり存在しているが登りの利用者は極端に少ない。距離 も長く小屋も少ないので、緊急の場合助けを求めるのが難しい。初心者がこのコースを選ぶのは避けるべきだ。単独、夜間登るのは 危険に感じるし、日中であっても、炎天下長いルートを登っていくのは、体力に自信があり、富士登山の経験が豊かでないかぎり、 まずはやめたほうがよいように思える。