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台風による大雨と、この夏の水位の上昇は早く、8月の終わりにはすでに橋の大部分が水面下に沈み、
期待していた連続アーチは見ることができなかった.わずかに水面にでている上部に、押し寄せる湖面
の波が、アーチ部の穴に吸い込まれていく音を聞いていると、海岸で防波堤の隙間にあいた亀裂に吸
い込まれていく潮の音であるかのように錯覚する.
アーチ橋は比較的大支間の場合に採用され、昭和初期、山岳部に敷設された鉄道に多く見られる. 今はなき士幌線とよばれる鉄路は、帯広駅から大雪山の懐、十勝三俣駅まで78.3キロメートルを結 んでいた。場所柄、生産された穀物の輸送や切り出された木材の搬出を目的としていた。
すでに大正時代末に敷設を終えていた帯広平野を縦断する線路の続きとして、上士幌駅から十勝三 俣駅間が昭和14年に音更線の名称で延長されている.山岳部に作られただけに、 この間の橋梁数は37、 これらにはコンクリート橋が多用されている.鉄筋で補強されたコンクリート橋(RC橋)が日本で最初 に作られたのは、明治の末期であるから、現在まで一世紀の歴史をもつ.橋梁長大化の主役をPC橋に譲 る戦後になるまで、着実に支間を広げていき、各種の橋梁が作られた.音更線は、北海道奥地に作るだけ に資材の調達、輸送のしやすさはもっとも考慮されていたであろうし、塗装など完成後のメンテナンスを 要しない点も北海道の僻地をいく線路にとってコンクリート橋は有利である.さらに、「天然美ト人工美 ノ快調ヲ計ツ」と建設要覧に明記されているように、大森林地帯を走る鉄道として環境との調和もうたわ れていた.昭和6年、国立公園法が成立し、昭和9年12月に大雪山が指定された後のことであり、環境 への配慮が浸透しつつあった時代を反映している.
戦後、増加した電力需要をまかなうために糠平ダムが作られることになり、水没する区間については 移設が必要となった.昭和31年、ダムは完成し、糠平湖に沈むことになった構造物は、それが作られて からわずか17年という短い生涯を終えた.幸いなことに、これらの構造物は、わざわざ解体されること もなく放置され、長さ130メートル11連のアーチが続くタウシュベツ川橋梁はそのまま残ることになった.
その亡骸は、ダム湖の季節による水位変化によって、アーチは全容をみせたり、湖底に沈んでしまったり する幻の橋として、それから半世紀の間四季を送り続けている.
驚くことに、士幌線は石北線までつなげる予定もあったという.そうなれば、今の大雪国道の役割を担う 帯広、旭川を結ぶ輸送路となったであろうし、直接網走など道東に向かう列車も走ったのかもしれない. 奥地で伐採された木材輸送を使命とした森林軌道的な役割から抜け出し、北海道の鉄道ネットワークの一端を担 う線路に昇格していたはずだ.
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水没を繰り返し、コンクリートの崩壊は進み鉄筋が露出していた.今日の鉄筋コンクリート構造物で使用され
ているような、節のついた異形鉄筋ではないのが時代を物語る.
十勝三俣は、たった5世帯しか暮らしていなかったという.利用者の少ないことは容易に想像できるが、 100円を得るためには22500円を要する超赤字路線となっていた.昭和53年には、まず糠平−十勝三俣が 代替バスの運行に切りかえられている.そして士幌線全体も国鉄再建法による廃止対象に入り、最終列車は昭和62 年に走った.そして、翌年正式に廃止された.
士幌線廃止により、湖西岸を走っていた新線も含めて、半永久にその鉄路を支え続けるべく作られた構造物た ちは、その寿命をまつことなくそのまま捨てられる運命となった.
産業遺産という言葉が知られ、戦前の土木構造物を保護しようという声の聞かれるようになったのはごく最近のこ とだ.士幌線の山間部では、構造物がすぐに撤去されることもなくそのまま残されていたのは幸いなことだったとい える.地元の熱意と努力によって、これらは保存されることになった.
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大雪を越え、旭川に向かう国道の改良で は大規模な構造物が各所に作られている.ダムすぐ下流にある糠平大橋の巨大さは目を見張らせるものだ.糠平ダム建設も、周囲 30kmにおよぶ人造湖を作り出す、当時としては大きな企てであったことを感じさせる. |
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糠平大橋 | |
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タウシュベツ川は、ダム湖北東部に流れ込 んでいる河川、橋梁跡には湖東を走っている林道から入ることができる.林道脇に現れる小さな目印にしたがって入れば、そこ は線路跡なのだろう、橋に向かって一直線の道がついていた. | |
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橋梁跡入口 |
私の訪れたときには水位が高く、 タウシュベツ川の河口は入江のようになっていた.防波堤のように横切っているのが橋梁跡で左側が完全に水没していた. 湖面は水平だから、橋梁に勾配があったことがわかる. |