駅ビル内の食堂で夕食をすませ、パン屋で、朝昼2食分のパンを買い込む.次に酒屋に立ちより. まずはペットボトル入りの飲料を2つ手にとる.ビールも持っていきたところであるが、一日歩きつづけ頂上に着いたときはぬるくなってしまうことだろう. 久しぶりに缶入りの日本酒をもっていくことにした.
トムラウシのある東大雪の入口となる町は帯広から根室本線で一時間ほど先にある新得である.登山口となるトムラウシ温泉行きのバスも、 朝7時20分にこの駅前から出る.朝一番の特急、十勝2号が新得駅に止まるのは7時28分、帯広を出発したのでは間に合わない. 前日のうちに新得まで着いておかなければならない.今朝、様似駅で襟裳岬行きのバスを待ち、時間を潰している間に旅館に電話をかけておいた. 今日最後の日程は、その新得旅館にいくことだ.
予定では19時20分発の各駅停車に乗りこむつもりでいたのであるが、早く宿に着けば明日の準備もできるし、一刻も早く冷たいビールも飲みた いと思ったから、十勝12号の特急券を買うことにした.切符売り場で時刻表をみていけば、この特急は、一昨日乗り換えをした南千歳駅を経由し て千歳線に入って札幌まで行っている.ここから3時間で札幌だ.日高の海岸を延々と迂回してきたからずいぶん長い道程であったけど、 石勝線では、帯広と札幌は近かった.車内でビールを開け、外はもう暗いけれど通り過ぎる町々を見ていると新得に着いた。
電話で聞いたとおり新得旅館は駅前にあった.新得駅は立派な駅舎が建ってはいるが、観光客以外にここを利用する人は限られているだろう. かつてはこの地域の開拓の玄関口で人が行き来していたのかもしれない.駅前のほんの小さな一角より外では住宅は広い畑地の中に点在してい ることを、帰宅後地形図を見て知った.鉄道が通り、これらの人々を対象にした商店などが並ぶ小さな街並みが生まれたのであろう.
風呂に入って、荷物の準備をする.詰めなおすと無駄なものの重量が多い.実際は問題となるような重さではないのであるが、これから山に登る となるといらないものだけに気になってくる.苫小牧で購入したロードマップは山の上では役にたたなそうだし、そのとき購入した「なまらえぞ3号」は、 2号を東京からもってきているのだから2冊は無駄だ.食料も最悪の場合の予備をみてもかなり余分なようだ.山頂部では水が十分にあるかわか らないから、持っていっても調理できるかわからない.行程も時間的にもぎりぎりだから、途中で荷物を降ろして優雅に調理をする余裕もなさそう である.使わないなら、東京に送り返しておけばよかったかもしれないと思ったがもう手遅れだ.明日背負って登るしかないだろう.
朝7時に新得旅館を出発する.駅までは1分もかからないから早く出すぎであった.駅舎内をぶらぶらして時間をつぶしバスの時刻を待った. 時々バス停の様子が気になって見に戻ったけれど、一向に客は現れない.この便に乗るとなれば、新得に泊まっているだろうから時間 一杯になって出てくるのかとも考えたが、結局だれも現れなかった.客は私一人でバスは出発する.8月はじめ、北海道の山はまさにハイシーズン と私は思い込んでいたし、深田百名山のひとつであれば相当込み合うものと覚悟してきたのであるが、登山者がまったく乗っていないのである. 宿でも7月はこみ合うといっていた.運賃2000円を払う.車掌も七月は花の季節となるので人が来るといっていた.駅前の小さな市街地を出 てしまえば、農地の中に出ていく.バスは延々と畑地の中を進んでいく.
木々の間に霧のたつのぼる湖水が見えてきた.ダム湖に出たようだ.ここからバスは十勝川をさかのぼっていった.次に現れた山中の巨大なロック フィルダムが十勝ダム.このダムによってできた人造の湖水は東大雪湖と名づけられている.バスは堰堤の上を左岸に渡り、そして今度は湖上の大き な鉄橋で右岸に戻る.あきれるまでに巨大な人造構造物であった.
曙橋でヌプントムラウシ温泉に向かう車道を離れ、バスは沢沿いに登っていく未舗装の林道に入った.トムラウシ温泉はトムラウシ川の一支流である ユトムラウシ川にある.道路脇の沢が細くなりすぎたと思ってみていたらこれはユウトムラウシとは異なる枝沢であった.バスはトムラウシ温泉東大雪荘 に着いた.
日本百名山で、山越えしてテントを張った野天温泉のことが出てくるがそれがここである.現在では、私のようにバスで簡単に来れるし、東大雪荘は未舗 装の林道の先にあるとは思えないほど立派な作りの三階建ての国民宿舎である.道路さえありさえすれば資材は何でも運べるのであるから、どのような建 物でも建築できて当然なことであるのだが、十勝の山深くというイメージに反して若干驚く.バスを降り、まずは朝食のため、昨日帯広駅で買っておいたパン を取りだした.
1日目 東大雪山荘から、南沼キャンプ地.
これから長丁場が始まる.すでに暑くなり始めているから、今日はけっこうつかれそうに感じる.登り口は、源泉の脇であった. 登山道に入るとすぐに林道に出るが、これを越えてからしばらくは登りが続く.そしてまったく平坦な場所に出てしまう.
さしあたっての目標は先ほど跨いだ林道の、さらに奥から入る歩道との合流点である.近年はそちらの歩道から入る人が多いよ うである.地図をみれば、その地点までは等高線が疎な斜面を進んでいるから楽な道筋である.その反面いくら進んでも高度を稼げな いことになるから時間だけ長くなるのである.もっとも、林道で時間を稼ぐようになった本当の理由は、この時間短縮によって無理をすれば、 日帰りが可能になるからだそうだ.何もせっかくこんな奥地にきたら無理をしてまで日帰りをする必要もないと思うのだが、多くの人の選択 はそうであるようだ.日帰りをするには往路を戻らなければならないから、かつて深田久弥が辿ったように、天人峡温泉への道を下るのは ごく少数のようだ.
予定した通り、東大雪荘を出て1時間で歩道が合流してきた.
登山道は東大雪荘から始まる.登山道入口は源泉のすぐわきにがある. | 登山口 |
私は、整備された歩道より沢を登っていくのが好きであるから、急にペースが上がる.早くも二俣に出てしまい沢の道は終わる. 右手がこれから登る道が沿っていくコマドリ沢という枝沢である.まだしばらくは暑さが続くだろう.この暑さではもってきた水だけでは心細いから飲みきって しまったペットボトルに水を汲んでおくことにした.
カムイサンケナイは飲めない水を意味するという深田久弥の言を思い出すが、さしあたって心配なのは、 エキノコックスの汚染であろう.私は、北海道では、念のため沢の生水を飲まないようにしている.しかし、これから上に水場があるともかぎらないから、 持っていって必要なら沸かして使うことにした. コマドリ沢にそって登っていくと、残雪の最後の固まりが残っていた.
登山道は流れにそって源頭までまっすぐ登っていくからけっこう傾斜がある.次に這松が現れ、左に折れていきガレを登るようになった. 展望が開けてきて、やっと山の上に出れたのであるから少しは爽快な気分を味わいたいのであるが、午後の陽はそのまま背中に照りつけるし、 囲まれた尾根にさえぎられ風はまったく通ってくれないから、暑さにいっそう体力を消耗した。少し休んで歩き始めると、またすぐに休みたい気にさ せるのは、すべてこの暑さのせいだった.前に見えているピークを越えたらゆっくり休もうと、自分に言い聞かせながら一歩一歩登っていく. 前トム平という少し広くなった場所はそのままやりすごして進むことにした.
ピークの肩の岩の転がる斜面で、本格的に腰を降ろす.予定している南沼のキャンプ地までは、まだ二時間弱残っている計算である. 思い切って休憩するにはちょうどいい場所まできている. もうここからは目の前にトムラウシの姿を見ることもできる.トムラウシの東斜面には深い雪が白く 見えている.
異常なまでの暑さも手伝って、沢を詰め、前トム平に登るのは気の遠くなるような行程であった.地図上ではもう直前にいることがわかっているのであるが、 あと一歩がどうしても踏み出せない.荷物を降ろし水筒を引っ張りだした. | |
前トム平で、すぐ前方に見えていた ガレに駆け登ると、ついにトムラウシがその姿を現した.山頂東斜面には残雪も残っている.まもなく山頂部は霧に覆われてしまった. ガレ東側の一段低いところに、小さなピークが並んでいるが、これが前トムラウシ山であろう. | |
前トムラウシ山 | |
ガレから見た山頂.東斜面には残雪も残る. | |
トムラウシ公園 | |
山頂から |
2日目 山頂から化震岳を経由して天人峡へ下る.
そのまわりは大きな岩塊が無造作に散らばり転がっている斜面である.岩峰のような雄大さや険しさを感じさせるものではないが、何とも荒 々しく、そして規模の大きさを感じさせる光景である.北海道の辺境の山まで来ているのだという実感がしてうれしくなる.
ここは風も吹きぬけていく.先ほどまでの灼熱はなかったかのように、風が吹けば、汗の引き始めた体は肌寒いくらいである. 良いことはまとめて訪れた.ナキウサギの声が聴こえてきた.こんなガレであれば、いてもおかしくないとは思ったが、実際にその姿を見ることができるとは思っ ていなかった.泣き声のするほうの岩の上に目をやるとちょこんと立ち上がった小さな動物が見える.
体も冷め、気も取り直すと、もう残りわずかのようさえ思えてきた.最終行程にはいったと思えばさらに気が楽になる. まずは転がる岩の上を飛び跳ねていく.いったん登ると下に緑一面のトムラウシ公園が見えてきた.小さな流れが中心を貫いている. 白く光る残雪が奥に見えているからこの融雪が水源なのだろう.おりていくと、水音も段々大きくなってくる.水量は豊富であった. 公園はくぼ地にあるから、ここで再び登りになる.勾配もたいしたことはなく、日もかげってきたから涼しくて快適この上ない.少し平らなところに出た. 沼のようになっているから、ここが南沼のキャンプ地かと思ったが、予定より早すぎるし、テントもまったく張られていない.まだ先にあるようだ. 再びゆるい登りを一歩一歩登っていくと霧の中にテントが見えた.キャンプ地は考えていたよりも山頂の直下にあった.ここにも、融雪を水源とする 水流がある.テントをはり、日本酒を飲みながら夕食を作る.日暮れは急激にやってきた.あたりは赤くなり、テントから這い出すと、 トムラウシのピークは赤々と照らされていた.そしてみるみるうちに黒ずみ、あたりは暗くなった. 7時、キャンプ地を出発する.もう山頂まではわずかだ.急な道を登って30分といったところだろう.昨晩は、強い風に吹かれ夜半にテントが揺らぎだして目がさめた以外は、快適な眠りであったから今日の体調はきわめて良好だ. 暑さに苦しめられた昨日には、頂上に登った後は往路をトムラウシ温泉に戻ろうと弱気な計画変更さえ浮かびあがったが、夜が明けて調子よく歩き始めれば、そんな考えはどこかに消えてしまい、予定通り天人峡へ下ること を決意した.計画を見直し時間を計算したたけれど、問題なく天人峡に下れそうである.
7時30分2141メートルの山頂に立つ.残念なことに、霧に覆われていて、風が吹かないと展望はない.360度の展望はもうあきらめるしかなく、霧の晴れた方角を見て満足するしかないだろう.十勝岳方面の山々の並びが 霧の切れ間からのぞいた.西の方には広い平地がかすかに見えているが、位置からして美瑛あたりになるのであろうか.山の東側については遠望はまったくきかなかった.
北沼に向けて下り始める.トムラウシ山頂の北にあり、山頂周辺の沼の中ではもっとも大きな沼である.霧の中に青い大きな湖面が広がっている.湖畔に下りると、対岸には残雪がせり出し、水滴が湖面に音を立ててしたたり落ちている. 湖面を半周して、大石の転がるゆるい平原を登っていくと、目の前には急なくぼみが現れた.ガレがくぼみの底まで続いている.石をまたいで飛び降りていく.こちらから登るとなると山頂直前で結構きつそうだ.ヒサゴ沼から登ってきた登山者 が、休み休み登ってくる.続いて向かいのガレをのぼっていくと、キスゲが咲いていた.この先はロープがはられ、木道まで設置されている.天沼という小さな沼を巻き、だらだら歩いていくと、非難小屋のあるヒサゴ沼へ向かう登山道が分岐しているくぼみの 前に出た.
対岸は、トムラウシのごつごつした姿とはまったく対象的な、穏やかに丸く削られた広々とした丘のような山体の化雲岳が対峙している.その先には小さな岩がのっていて、そこに向かって一面の緑の中に登山道の茶色い線が続いている. この見えている岩が化雲岩で、化雲岳の山頂でもある.ここからは、これから辿っていくコースが一目瞭然であった.荷をおろし水分を補給してから、くぼみへの下りに入ることにした.ヒサゴ沼に寄っていく時間的な余裕はないので、 分岐をまっすぐ、そのまま化雲岳に取り付く.さきほど見たとおり、急な登りを終えて丘の上に出てしまえば、岩まではほとんど平らな道が続くのみである.
頂上を後にすると青く美しい北沼の湖面が下に見えてくる. | |
北沼に続く岩の平原 | 化雲岳への縦走路.平原のなだらかな登りを 終えるとガレの窪地へ下っていった. |
キスゲの咲くお花畑. | 歩道は天沼を半周してから離れていく.この沼のあたりは突如木道まで出現して驚かされた.ガレを登りおりしたあとだけに、 平らな地面のありがたみをしみじみ感じた. |
ヒサゴ沼の分岐に下るすぐ手前で、これから向かう山の全体像を記録するために25mmの広角レンズを出した. トムラウシの山頂は作りかけで放置された造形物といった感じであったけれど、こちらは緩やかな曲線にまで磨かれたピークである.ここまで緩やかな山はこれまで私が見たことがない. 突っ立ている化雲岩が唯一そこが山頂であることを強く主張しているようだった. | |
これほど目標のはっきりしている登りも少ない.まるで丘をハイキングしているようだ.反対から歩いてくる人が何人で、あとどのくらいの時間でくるのかまで すべてが見通してしまう. |
いよいよここから下りに入る.天人峡に10.5キロメートルの指導標がある.反対側はトムラウシ6キロメートルとあるから、下りだけとはいってもまだ残りの方が長い.時計は11時前を指している. この調子で行けば、午後の適当な時間に下りおわりそうだ.夕方のバスに乗って旭川まで出て、予定ではビジネスホテルにでも泊まろうと思っていたけれど、天人峡には温泉もあるのだから、宿を探して泊まることに決めた.這松の間の道を30分ほど下った とき、まだだいぶ遠かったけれど、前方には忠別川の谷が東西に走っているのが見えた.そして左手の崖には、白い筋が落ちているのもかろうじて確認できる.地図の位置からすると、羽衣の滝なのであろう.やがて、這い松は続く中の登山道はぬかるみ出し た.第2公園といわれているあたりにきたのだろうか.これといった特徴がないので、確認できない.かれた沢を越えたところに、見落としそうな指導標、天人峡6キロメートル.この値はまだ先が長いことを意味しているが、一方カウントダウンに入ったような気も してくる.現在位置がはっきりしないのが不安だ.地図を辿っていくと6キロメートルでは、第2公園はもう過ぎていなければならないから、さきほど笹が生えてぬかるんでいたあたりがそうであったのかもしれない.
20分ほど下ると、木道が始まり、第一公園に出た.湿原で花の季節なら美しいのであろうが、特に目を引くものもないので、一回立ち止まって写真を撮っただけで下ってしまった.後で思うともうちょっとゆっくりしていてもよかったと惜しい気もした. 木道が終わり少し下ったところで、時刻は1時近くなっていることに気づく.このあたりで昼食を食べておくことにした.もう忠別川の崖の縁間近にいるのだから、まもなくルートは90度曲がり、忠別川に平行して進むようになるだろう.そのまま川に沿って西に進み、 羽衣の滝の向かいにある滝見台にでれば、そこから崖を下り、ゴールとなる天人峡温泉に着いてしまうはずだ.
化雲岩 | 忠別川源頭の崖. |
天人峡のある忠別川の谷に向かって下る.最初はゆるい斜面にそって道は下っていく. | 湿原第一公園には真新しい木道が整備されていた. |
食事を終え歩きはじめると林中の道に変わり、小さな登りくだりが繰り返される.海抜も下がってきたので蒸し熱い夏の平凡な山道に変わってしまった.汗も噴きだしてきて、水筒の水位の低下も気になりだす.さらに鬱陶しいのは、先ほどからアブが間 髪おかず追跡してくることだ.掃ってもはらっても次々に執念深く寄ってくる.もう北海道の山という感じがまったくしなくなってしまった.旅館に着いてから知ったのだけれど、私はたまたま運悪く異常な暑さの日にトムラウシに登ってしまったようだ. アブもこの暑さで大発生していたようだ.
川の方から滝の落下する音が聴こえはじめた.離れていることもあって、響くよりはサラサラという心地に良い音がする.葉の隙間から滝が見え始め、羽衣の滝の正面に出た.滝見台にはベンチが作られていたけれど、もちろんだれもいなかった. 国内有数の滝の全景が見える場所ではあるが、300メートルも高さがある忠別川の崖を1時間もかけて登ってくる観光客はまれなようだ.シャツを脱ぎ汗をぬぐい休憩する.左手の本流の上には堰堤のような幅の広い滝が落下しているのも見えている. あれが、敷島の滝であろう.
水筒のお茶の残りを飲み干した.次は冷たいビールが待っているはずだ.急なスイッチバックを切り返し一気に走り降りていくと登山口に出た.まずは自販機でビールを買い、アスファルトの路面に腰を下ろした.
滝見台からの羽衣の滝.天人峡のページはこちら. | |
美瑛の丘からみた、トムラウシ山(雪の積もった台形). |